青木さんがルミちゃんちへ遊びにきて、今しがた帰ったばかしなんです。ゆうべ新宿でブンなぐられたんですッて。三十分ぐらいルミちゃんに泣き言いって、千円くれてッたんですって。そのお金で、目下、宴会中」
 ルミ子は何も言わなかった。
 放二は穂積の話を思いだして、意外であった。
「青木さんの顔の怪我はひどいようにきいたけど。話もよくできないぐらい」
「ええ。腐爛した水屍体のデスマスクに似ていたわ」
 ルミ子は珍らしくもなさそうな顔だった。
「痛さをこらえれば、話すこともできるの。ポロポロ泣きながら。それを見せにきたんです。腐った顔と、泣きながらしぼりだす声とを、ね」
「そのくせ、私には見せないのよ。出て行け、なんて。キザなんだ、あのジジイ」
 八重子は吐きすてるように、
「やること、なすこと、ニヤケているのよ。ツバひッかけてやりたいよ。だけど、ルミちゃんには、いいお客さ。腐った顔と泣き声みせて、千円くれて帰るんだもの。キザなジジイに好かれてみたいや」
 ルミ子は水蜜の皮をむきながら放二にたずねた。
「大庭先生の姪ですッてね。その方、自殺じゃないんですか」

       四

 放二は捜査のあらましを女たちに語ってきかせた。
 ルミ子はきき終って、
「キッピイさん、もちろん、みんな知ってるのね。そして、何か、深い理由があるんだわ。キッピイさんに、会ってみたいな」
 そしてルミ子は夕刊をとりあげて、放二の示したキッピイの店の広告を眺めていたが、
「私、この店の女給になってみましょうか。二三日いるうちに、秘密をききだすことができるでしょう」
 とんでもないことを言いだしたのに気がついて、ルミ子は苦笑した。
「ちょッとしたスリルか。なにか、イタズラがしてみたいのさ」
「気どってやがら」
 八重子がやりかえした。ルミ子の言葉に意外に反感をいだいた様子である。
 ルミ子は苦笑して、
「フン。ヒステリイ」
「チェッ。しょッてやがら、あんたは、美人だよ。麗人でございますよ。美人女給にお似合いですよ。この町内へ二度と戻ってきなさんな」
「どうも相すみません。パンパンアパートの姐御さま」
「よしやがれ。パンパンでわるかったわね」
 八重子がなぜ腹をたてたか、ルミ子には一から十まで分っていた。何よりも嫉妬であった。誰が放二を恋しているというわけではないのだ。ゴミ屑のような生活のなかで、美しい恋なんてものは、ありやしない。しかし、又、あるといえば、生活の全部が恋だけなのかも知れなかった。
 ルミ子は自分の心を考えてみた。彼女は放二を恋してはいなかったが、世界で一番放二の偉さを知っている者があるとすれば、それは自分だろうと思った。彼女は放二に自分の魂をゆるしていたが、放二も彼女のためにその魂をゆるしていると信じることができるのだ。この上の何物をもとめることもないではないか。放二はそういう人なのだ。己れの魂を彼にゆるす者は、彼の魂を己れにもゆるされていることを見ることができるのである。
 キッピイの店へ女給にでて秘密をききだしてあげたいというのは、深い動機からではない。八重子はそれを恋のせいであるかのように腹を立てゝいるけれども、そう思われるものがもしも自分にあるとすれば、それは自分の大きな罪だと言わなければならなかった。
 放二を恋するというようなことが、他の人々への義理からではなく、自分の正しい生き方として、許さるべきことではないのだ。放二の偉大な魂を知りつつあることの満足よりも大きなものが有り得べきではないのだから。
 彼女は人々に、恋のせいだと見られたことが羞しかったし、放二にはすまないことだと意外に深く気に病んだ。
「なんだか差出がましくッて、私だって、キザッぽくッて気がひけるのよ。あんまり羞しがらせないでね。でも、私が女給にすみこめば、秘密をききだすこともできるし、そうでもしなければ、キッピイさんはタニシみたいに口をつぐんでいるだけだ。兄さんのために何かしてあげたいというんじゃないわ。私には出来ることらしいから、その義務を果すのさ。そして、それが私には面白そうに見えるからのことさ。私が、そうしちゃ、いけないの?」
 ルミ子は珍しくムキになっていた。そして、ふいに、涙ぐんだ。

       五

 その晩から、ルミ子はキッピイの店で働いていた。
 この店の主人夫婦は、この商売の主人にしては、ちょッと柄が変っていた。男の方は五十がらみの年配であるが、昔は手堅い会社かなにかに実直な事務をとっていたような、グズで気のきかないノンダクレという感じである。女はわりに若くて三十三四と見うけられるが、いくらかこんな商売をしていたように思われる程度のおとなしそうな女であった。ルミ子を雇い入れるとき、男主人がなんとなく真剣な顔付で、
「このへんの流儀で、ヒッパリをや
前へ 次へ
全100ページ中55ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング