んでくるやうに感じた。俺の消息をさぐりに来るのだ、と思つたが、さりげない風をして、
「何か用があるのかい?」
「さあね」
青々軒の顔色からは予期したかすかな感情も読みとることが出来なかつた。彼はお勝手の奥さんの方を向いて「あの人は何の用で来たんだつけね」ときいたが、何か間の悪い物音にさへぎられて奥さんの耳にとゞかないのを知ると、再び訊ねようとはしなかつた。
雪が降つてきた。青々軒の家には傘が一本しかなかつたので、その傘で駅まで送つてくれたが、二ツの子供をおんぶして長靴をはいた青々軒の異様な姿は往来の人目を惹いた。一瞬憐れむやうな翳が走つたが、青々軒は困りきつた顔をして、
「あの人は善い人だがね、然し、君が深入りするほどの人ぢやないんだがな。やつれたぢやないか」
太平は答へることができなかつた。すべてが再び暗闇へもどり、空転だけが感じられた。彼はいつか傘からハミだして雪にぬれて歩いてゐた。
「濡れてみたいのかい。アッハッハ」
青々軒の瞳にも濡れたやうな小さな善良な愛情が光つてゐたが、それらが急に縁のない遠い彼方のものにしか思はれなくなつてゐた。
ある朝、太平は何物かに押される力
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