雑念を離れ、屡々《しばしば》夜の白むのも忘れてゐたといふことである。
六袋和尚は六日先んじて己れの死期を予知した。諸般のことを調へ、辞世の句もなく、特別の言葉もなく、恰《あたか》も前栽へ逍遥に立つ人のやうに入寂した。
参禅の三摩地を味ひ、諷経念誦の法悦を知つてゐたので、和尚の遷化《せんげ》して後も、団九郎は閑山寺を去らなかつた。五蘊《ごうん》の覊絆を厭悪し、すでに一念解脱を発心してゐたのである。
新らたな住持は弁兆と云つた。彼は単純な酒徒であつた。先住の高風に比べれば百難あつたが、彼も亦《また》一生|不犯《ふぼん》の戒律を守り、専ら一酔また一睡に一日の悦びを托してゐた無難な坊主のひとりであつた。
弁兆は食膳の吟味に心をくばり、一汁の風味にもあれこれと工夫を命じた。団九郎の坐禅諷経を封じて、山陰へ木の芽をとらせに走らせ、又、屡々蕎麦を打たせた。一酔をもとめてのちは、肩をもませて、やがて大蘿蔔頭《だいらふとう》(だいこん)の煮ゆるが如く眠りに落ちた。ことごとく、団九郎の意外であつた。一言一動俗臭|芬々《ふんぷん》として、甚だ正視に堪へなかつた。
一夕、雲水の僧に変じて、団九郎は
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