様であつた。
後向きの姿ではあるが、不興げな翳が顔を掠めて走つたかと想像された一瞬間、たしかに和尚の姿がむくむくとふくれて、部屋いつぱいにひろがつたのを認めた筈であつたのである。
腰骨の痛みも打忘れて、訪客は麓をさして逃げ帰つた。
ある年、行暮れた旅人が、破れほうけた草庵を認めて立入り、旅寝の夢をむすんだ。
すでに棲む人の姿はなく、壁は落ち、羽目板は外れて、夜風は身に泌《し》みて吹き渡り、床の隙間に雑草がのびて、風吹くたびにその首をふつた。
深更、旅人はふとわが耳を疑りながら、目を覚した。その居る場所にすぐ近く、人々のざわめきの声がするのであつた。それは遠くひろびろと笑ひどよめく音にもきこえ、またすぐ近くあまたの人が声を殺して笑ひさざめく音にもきこえた。
旅人は音する方へにぢり寄つた。壁の孔を手探りにして、ひそかに覗いた。さうして、そこに、わが眼を疑る光景を見た。
そこは広大な伽藍であつた。どのあたりから射してくる光とも分らないが、幽かに漂ふ明るさによつては、奥の深さ、天井の高さが、どの程度とも知りやうがない。さて、広大な伽藍いつぱい、無数の小坊主が膝つき交へて蠢いてゐた。ひとりは人の袖をひき、ひとりはわが口を両手に抑へ、ひとりは己れの頭をたたき、またひとりは脾腹を抑へ百態の限りをつくして、ののしり、笑ひさざめいていた。
やがて最も奥手の方に、ひとりの小坊主が立ち上つた。左右の手に各《おのおの》小枝を握り、その両肩へ小枝を担ふ姿勢をとつて、両肘を張り、一声高くかう歌つた。
「花もなくて」
歌ひながら、へつぴり腰も面白く、飛立つやうに身も軽く一舞ひした。
「あら羞しや。羞しや」
小坊主は節面白く歌ひたてて、両手の小枝を高々と頭上に捧げ、きり/\と舞つた。と、舞ひ終り、ひよいと尻を持上げて、一足ぽんと蹴りながら、放屁をもらした。
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花もなくて
あら羞しや。羞しや
[#ここで字下げ終わり]
小坊主は、舞ひ、歌ひ、放屁をたれ、こよなく悦に入ると見えた。同じ歌も、同じ舞ひも、繰返すたびに調子づき、また屁の音も活気を帯びて、賑やかに速度をはやめた。
放屁のたびに、満座の小坊主はどッとばかりにどよめいた。手をうつ者もあり、鼻をつまむ者もあり、耳に蓋する者もあれば、さては矢庭にかたへの人の鼻をつまんで捩ぢあげる者もあつた。ののしり、わめき、さて、ある者は逆立ちし、またある者は矢庭に人の股倉をくぐりぬければ、またある者はあほむけにでんぐり返つて、両足をばたばた振つた。
異様なこととは言ひながら、その可笑しさに堪へがたく、旅人は透見の自分も打忘れて、思はず笑声をもらした。
どよめきは光と共に掻消え、あとは真の闇ばかり。ただ自らの笑声のみ妖しく耳にたつことを知つたとき、むんずと組みついた者のために、旅人はすんでに捩ぢ伏せられるところであつた。必死の力でふりほどき、逃れようと焦つてみたが、絡みつく者は更に倍する怪力であつた。精根つきはてて抵抗の気力を失つたとき、組みしかれた旅人は、毛だらけの脚が肩にまたがり、その両股に力をこめて、首をしめつけてくることを知つた。
ふと気がつけば、草庵の外に横たはり、露を受け、早朝の天日に暴《さら》されてゐる自分の姿を見出した。
村人が寄り集ひ、草庵を取毀《とりこわ》したところ、仏壇の下に当つた縁下に、大きな獣骨を発見した。片てのひらの白骨に朱の花の字がしみついてゐた。
村人は憐んで塚を立て、周囲に数多《あまた》の桜樹を植ゑた。これを花塚と称んださうだが、春めぐり桜に花の開く毎に、塚のまはりの山々のみは嵐をよび、終夜悲しげに風声が叫びかはして、一夜に花を散らしたといふことである。この花塚がどのあたりやら、今は古老も知らないさうな。
底本:「坂口安吾全集 02」筑摩書房
1999(平成11)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文体 第一巻第二号」
1938(昭和13)年12月1日発行
初出:「文体 第一巻第二号」
1938(昭和13)年12月1日発行
入力:tatsuki
校正:今井忠夫
2005年12月10日作成
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