観念的その他
坂口安吾

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)亦《また》
−−

 私の小説が観念的だといふのは批評家の極り文句だけれども、私の方から言ふと、日本の小説が観念的でなさすぎる。
 小説が観念的でなければならぬといふ筈はないけれども、日本人の生活には観念の生活が不足だと思はれる。観念も亦《また》実際の生活で食慾色慾物慾、観念なしにそれらのものが野放しにされてゐるやうな生活は、その方が実在するものではない。
 我々の思想生活といふものは観念によるもので、小説が「観念的」でなくてよい、といふ場合は、観念生活のあげく観念によつて観念をはぎとることができた時にのみ意味をもつものだと私は思ふ。したがつて、この意味の「観念的でない」ことは観念によつてさうなつたといふことであり、私がサルトルの「水いらず」に感心したのはその点で、フランスの恋愛小説の歴史に於ては最後の役割(現在までの。これからは更に又進歩の歴史はつゞくであらう)を果したものであつたと思ふ。
 このことは又、別の意味にサルトルを解する手段ともなる。フランスの恋愛小説を歴史的に見た時には新しい手法とし
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング