肝臓先生
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)咒《のろ》い

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)御回答|煩度《わずらわしたく》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)ア※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ン・ギャルド

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(例)ジャン/\
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 終戦後二年目の八月十五日のことであるが、伊豆の伊東温泉に三浦按針祭というものが行われて、当日に限って伊東市は一切の禁令を解除し、旅館や飲食店はお酒をジャン/\のませてもよいし、スシでもドンブリでも何を売ってもよろしい、という地区司令官の布告がでたという。
 戦争以来伊東へ疎開している彫刻家のQから速達がきて、右のような次第で、当温泉は全市をあげて当日を手グスネひいて待ちかまえて、すでに今から活気横溢しているほどだから、当日の壮観が思いやられるではないか。ぜひ来遊したまえ、という招待であった。
 終戦二年目の八月といえば、日本カイビャク以来これほど意気消沈していたことは例がない。と云うのは、その年の七月に、料理飲食店禁止令というものがでゝ、一切の飲みもの食べものの営業がバッタリと杜絶した。禁令というものは、かならず抜け道が現れて、裏口繁昌、表口よりもワリがよくて禁令大歓迎というのが乱世の常道だ。アル・カポネや蜂須賀小六大成功の巻となる。これが今日では常識であるが、はじめて禁令をくらった歴史的瞬間というものは、全然の初心者であるから、アレヨ、アレヨと云って途方にくれ、未来のアル・カポネたちも店をたたんで腕を組み天を仰いでいるばかり。真夏の太陽はいたずらにカンカンてりかがやき、津々浦々ゲキとして物音もない寂しい日本となってしまった。
 この時に当って、たった一日でも禁令を解除するというから、きいただけで心ウキウキしてしもう。
 私が大いなる感動をもって招待に応じたのは、云うまでもないところで、ところが私をむかえた友人は浮かぬ顔。
「アレはデマでね。話がうますぎると思ったよ。こんなことがあればいゝと、みんな同じ夢を見ているんだろうな。誰か一人がヤケッパチに思いつきを言ったのが、全市を風靡したものらしいよ」
 温泉町で、酒ものませない、御飯もたべさせない、となると、万事温泉客に依存している町柄であるから、全市死相を呈するのは仕方がない。
 駅前にはアーチをたてて按針祭の景気を煽っているが、電車から吐きだされた旅行者らしきものは私ひとり、いくらか人の肩と肩がすれちがうのは道幅一間ほどの闇市だけで、大通りは、光と影をみだすものとては熱気のこもった微風だけである。常には賑いを独占している遊興街も軒なみに門戸をとざし、従業婦もとッくにオハライバコで、死の街であった。
「しかし、君の旅情を慰めるためには別アツライの席が設けてあるから、落胆しないでくれたまえ。どうやら、君の歩く足が、とみに生気を失ったようだが」
 と、彼は私を慰めて、
「せっかく意気ごんで来てくれたのに、夢の一日は煙と消えて、こんなことを頼むのは恐縮だが、君にひとつ尽力してもらいたいことがある」
「なんだい」
「詩をつくってもらいたい」
 私は返事の代りにふきだしてしまった。生れて以来、一度や二度は詩をつくったことがないでもないが、散文を書きなれた私には、圧縮された微妙な語感はすでに無縁で、語にとらわれると、物自体を失う。物自体に即することが散文の本質で、語に焦点をおくことを本質的に嫌わねばならないのである。
 私がふきだしたのを見て、友人は気分を損ねたようである。
「まア、いゝさ。今に、わかるだろうよ」
 森の魔女が咒《のろ》いをかけるような穏やかならぬ文句をのべたてて、
「君に見せたいものがある」
 彼は私をアトリエへ案内した。アトリエのマンナカに、なんとも異様な大きな石が、ツヤツヤみがきこんである。
「君に見てもらいたいのは、この石像だが」
「石像?」
「ウン」
「この石でつくるのかい」
「これが完成した石像なんだよ」
 と、彼は私をあわれみの目で見すくめた。
 詩の仇を石でうつとは不届き千万な。シュルリアリズムは拙者若年のみぎりお家の芸、はチト大きいが、アンドレ・ブルトン、フィリップ・スウポオ、ルイ・アラゴン、ポール・エリュアールetcの飜訳があるときいたら、奇妙な石ぐらいで目はくらまされないと知るべきである。事、石神(シャグジとよむよ)道祖神に関しても、拙者年来のウンチクがあって、帝釈様の御神体なぞ、余アマネクこれを知るetcの学がある。
「敗戦以来、ア※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ン・ギャルドに御転向だね」
 と、ひやかしてやったが、彼はムッとして、とりあわない。
「これは何物の石像です?」
「カンゾオ!」
「カンゾオ?」
「しかり!」
「ケスク・スラ・シニヒ?」(それは何を意味するや)
「スラ・シニヒ・モツ!」(それはモツを意味する)
「モツ?」
「モツ! セタジール(スナワチ)レバー!」
「アッ。ヤキトリ! 肝臓!」
「セッサ!」(しかり!)
 シュルレアリズムのウンチクも及ばないのは仕方がない。探偵小説を書いたこともあるが、解剖を見学したこともなく、ハズカシナガラ、肝臓の形を知らない。しかし、直径一間もある石の肝臓をつくる男はキチガイだ。
「肝臓はこんな形をしているもんかね」
「アイ・ドント・ノオ!」
「アレレ。コレ、肝臓デワ、アリマセンカ」
「余は胃や腸や心臓を見て、これを造った。余の見た書物に肝臓の絵がなかったのである」
「フウム。ききしにまさる天才であるよ。ヤキトリ屋の置物かな。看板にしては入口をふさいでしまうし、庭の石かな。しかし、ヤキトリ屋というものは小ヂンマリとしたもので、なんしろ目の前で焼いて食わせる店だから、庭はないはずだがな」
「シッ!」
 彼は私を制した。まさしく彼はキチガイである。端坐して、と云いたいところだが、椅子にかけているから、キチンと両膝をそろえて、シンミリ私を見つめたと思うと、うつむいて、ポタリと一としずく。驚いたの、なんの。
「わが友よ」
 彼は涙をふりはらって、おごそかに石の肝臓を指した。
「これなる肝臓はわが畏友、わが師、医学士赤城風雨先生の記念碑である。われら同志よりつどい、先生の高徳をケンショウしてそぞろ歩きの人々に楚々たる微風を薫ぜんため、これを目立たぬ街角へ放置せんとするものである。汝が詩を書かねばならぬのは、この肝臓の碑面であるよ」
 私は涙腺がシッカリしているから、とてもキチガイにウマを合わせることができない。
「詩なんてものは、時間の意識が長々とした時世に存在したものなんだな。ボクなんかは、ピカドンというような微塵劫《みじんこう》的現実に密着しているから、そぞろ歩きに微風を薫じるような芸当はとてもできない」
「まア、いいさ。今に、わかる」
 彼は又、咒文《じゅもん》をとなえた。
「君がいくらデカダンぶっても、赤城風雨先生の苦難と栄光にみちた一生をきいて、センチにならないはずはないさ。今に、君の涙腺もネジがゆるむから」
 彼はせせら笑って、
「これから君を烏賊虎《いかとら》さんのお宅へ案内するが、烏賊虎さんは君をもてなすために酒肴の用意をととのえて待っておられる。伊東市は温泉町ではあるが、半分は漁師町だ。烏賊虎さんは南海の名もない漁師だが、最も深く赤城風雨先生の高徳をしたう点に於て、第一級の人間なんだね。戦争中は赤城先生の病院で人手が足りなくて、手伝いに行って、ズッと臨終の瞬間も見とゞけた最も親しい人だ。三四日君を泊めてくれる筈だから、新鮮な魚をウントコサ食べさせてもらって、赤城風雨先生の話をきくがいいや。君の考えはガラリと変るぜ」
「拙者は烏賊虎さんのところへ泊まるのかね」
「あたりまえさ。君の曲った根性をたたきなおすには、そこへ泊めてもらうに限る」
 こんなわけで、私は魚市場から段丘を登ったところにある烏賊虎さんの二階に五日間泊めてもらった。私は、できるなら、五年間でも泊りたいと思ったほどである。
 漁師というものは、実にあたたかくて、親切なものだ。オ早ヨオ、だの、コンバンワ、などゝ月並な挨拶は全然やらない。ほかに気の利いた代用品を用いているわけではない。つまり、ゼンゼン喋らないのである。どんな親しい間柄でも、黙って往来をすれちがう。頭も下げない。彼らは魚に同化して、ムダなことは喋らなくなっているらしい。魚が挨拶したら、おかしなものだ。鯛のような人もいるし、ヒラメのようなジイサンもいる。アンコーにそっくりのオッサンもいるし、イワシのような娘もいる。ヒラメ族というものが、すべて一律にただヒラメであって、太郎ヒラメでも花子ヒラメでもないように、彼らにとって、人間族は一律にただ人間であって、その絶対の信頼感と同族感が漁師町に溢れているのである。
 そして漁師は魚よりも、かしこくて、おだやかである。私は伊東市の半分、温泉町ではよその土地からまぎれこんだ地廻りたちがケンカするのを見たが、あとの半分の漁師町では永久にケンカがないことを知った。若い漁師のたくましい筋骨はあげて風浪との闘いに捧げられ、同族に向って手をあげるなぞは思いもよらないことなのだ。平和な、そして、あたたかい町。
 朝の三時には、もうホラガイが暗い海面をなりわたる。百人あまりの若い人たちが各々の家からとびだしてくる。彼らをのせた十ほどの小舟が親船にひかれて、走り去る。なんの怒号もなければ、劇的な動作もない。荒天のうねりの高く砕け狂う日も同じことで、平々凡々にでかけて行くだけのことである。大謀網《だいぼうあみ》をあげに行くのだ。
 同じころ、あるいは、もう一時間早く、近海へ漁にでる棒受け網が出陣する。
 烏賊虎さんは棒受け網の小頭で、漁期は連日朝の二時にでゝ、夜の十時に帰る。家でねむることはない。黙って家へ戻ってきて、手拭をとって銭湯へ行き、なんとなく四時間たって、だまって出かけるだけである。彼らが魚に同化する理がわかるであろう。遠洋へ漁にでると、一ヶ月、マグロなら二ヶ月の余も、海の上で暮すのである。せいぜい四十トンぐらいの船。たった四畳半ぐらいの一室で三十人ぐらいの人々が眠るのである。水のほかには自分たちの食物として米と塩を積むだけで精一パイだ。彼らはただガムシャラに魚を追う。ひねもす、魚を追う。それが彼らの一生だ。彼らの親も、その親も、その又親も、ズッとそうであった。そして彼らは、海水でといだ御飯が陸上の御飯のくらべものにならないほど美味であることを知り、釣りたての生きた魚には魚の臭気がなくて、かみしめる肉に甘さがこもり、人にたべてもろうための心尽しの数々がこもっていることを知って満足するのである。彼らは帝国ホテルのフランス料理にあこがれない。彼らの日常の食事が、それよりも豊富な妙味に溢れていることを発見し、確認しているからである。
 伊東市の、ちょうど温泉町と漁師町の境界をなしているのが大川で、一名、音無川ともいう。この川では鮎とウナギがとれ、通人の愛好するモクゾオ蟹がとれる。又、その海にそそぐところでは、三百目、四百目の黒ダイがザラに釣れる。
 漁師の子供たちは夏いっぱい川の魚やカニをとって遊ぶが、それを食べることがない。漁師町では、川の魚は子供のオモチャと解して、食用に供することがない。川の魚はイソくさいから、と彼らは云う。イソといえば、海という意に解するのが通常の日本語であるが、彼らの用法は特別で、川魚や黒ダイはイソくさいからと云って、全然ケイベツしているのである。
 潮吹のあたりの岩のある海岸では、私がたった三十分汀をぶらつくだけで、ウニを十も二十も拾うことができる。アワビもサザエもふんだんにいる。彼らはそれを土産物として温泉客に売るけれども、自分たちは食べることがない。彼らの味覚は特別なのである。良かれ悪しかれ、彼らほどガンメイ固陋な美食家はいないのだ。
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