敵機が見えるたびに、海にとびこんで隠れていました」
その日は艦載機が、しきりにバクゲキをくりかえしていた。空襲警報が間断なく発令されていたのである。
「よし。わかった。すぐ行ってあげるよ」
娘の肩に手をかけて、こう優しく慰めると、先生は棺の前に端坐して、冥目合掌し、
「島に病人が待っています。行ってやらなければなりません。あなただけは、それを喜んで下さるでしょう。肝臓医者は負けじ」
深く深く一礼を残すと、あとはイダテン走りであった。病院へ駈けつけると薬をつめたカバンをとり、私をしたがえて、一散に海へ。
三人は小舟に乗った。私は櫂をにぎった。海上で、かなた陸上の空襲のサイレンをきく。それは淋しく、怖ろしいものである。見渡す海に、一艘の舟とてもない。浜に立つ人影もない。
風よ。浪よ。舟をはこべ。島よ。近づけ。
先生は舟中で娘の掌をきつく握って、手の色をみた。それは先生が肝臓疾患の有無をしらべる時の最初の方法なのである。
「やっぱり、あなたもあるようだ。どれ」
もはや、先生は肝臓の鬼だ。慈愛の目が、きびしい究理の目に変っている。
先生は肝臓に手をあて、強く押して診察した。
「
前へ
次へ
全49ページ中44ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング