対して怒ってはならない。ただ汝の信ずるところを正しく行えば足りるのである。
 先生は二人の医者に気まずい思いをさせては気の毒なので、ソッと跫音《あしおと》を殺して、姿を消した。
 しかし、あらゆる患者がみんな肝臓を犯されていることは、先生の診察室では動かしがたい事実となっていた。東京の友人や先輩から、先生に宛てた紹介状をもたせて患者を送ってくることがあった。それは、ほかの病気の患者であったが、しらべてみると、例外なく肝臓炎もあるのである。この事実は先生を困惑させ、思わず、こまった、こまった、と心に叫ばしめるのであった。
 そこで先生は仕方なく、
「肝臓も悪いですね」
 と何気なく言おうとしても、どうしても「も」にこだわって、妙に力がこもってしまうのだった。それからの先生は、患者を診るたびに「も」の一語と闘い、自責の苦痛と闘わねばならなかった。すべての患者が肝臓炎でもあること、この動かしがたい事実に、なぜ気おくれするのであろうか。先生はフガイなきことにも懊悩した。
 その時に当って、先生に大きな勇気を与えてくれる出来事が起ったのである。
 昭和十五年、十二月二十日であった。例年のこの日は
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