を犯しつつあり、赤城風雨先生の診療室に戸をたたく患者のすべての肝臓を腫れあがらせているほどの暴威をふるうに至っているのだ。
 先生はこれを流行性肝臓炎と命名して患者に説明したが、町の人たちにはオーダンカゼと言ってきかせるのが一番わかりやすいことを発見した。
 その時以来、先生は寝食をなげうって流行性肝臓炎の臨床的研究に没頭した。そして数種の手当を工夫したが、患者はそれによって急速に肝臓の痛みがとれるので、これをきき伝えて訪れる肝臓病者が激増し、呼吸器病者はにわかに影をひそめてしまった。
 しかし先生の憂うるところは、自らの肝臓病たることを自覚する人々ではなかった。今や自覚することなく、大半の日本人が流行性肝臓炎に犯されているのである。いかにしてこれを知らしめ、正しい治療を与えてやるべきや。先生はあせりにあせった。
 それは昭和十四年、お正月、某家に於けるお茶の会の出来事だ。
 余興に福引があった。と、一人の娘がひきあてたクジが「赤城風雨先生」というのである。先生が驚いたのもムリはないが、一座の人々も目をみはり、そも何物が当るかとカタズをのんだのも当然だ。読みあげられた答えは四文字。曰く
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