であってもよい。そして、その肝臓の碑面には、ハズカシナガラ、小生の詩がきざまれていることを、小さな声で白状しておこう。詩作の情熱は高鳴っても、詩の体となすべき言句にウンチクがないから、ピカドンの徒は詩はダメです。
しかり、しかして、肝臓先生とは何者であるか。それを語るべき光栄ある時間がせまってきたが、それは私が語るのではなく、烏賊虎さんが語るのだ。私はそれを私流儀の文章に要約しただけのことだ。以下、文中、私とあるのは烏賊虎さんである。
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赤城先生の生国がどこか、市役所の戸籍係にしらべてもらわないと、わからない。伊東の生れでないことだけは確かであるが、この町は旅の人にはなれているし、魚も年中旅をしているものだから、誰も人の生国などを気にかけないのである。
先生は東京の医者の学校の物療科というところを出た人だ。これだけは、みんなが知っている。なぜなら、その物療科をつくった恩師の大先生を神のごとくに讃えて、万事につけて恩師の高徳に似たいというのが先生の念願だからである。恩師の大先生は大学教授のくせに博士号をもたなかった変り者であるから、先生も医学博士にはなることができない。町医者としては、ここはツライところであるが、恩師に似なければいけないから、仕方がない。
汝は何者であるか、ときかれると、さしずめ、人々が肝臓医者さと答えてくれるところを、先生は、余は足の医者である、と答えるのである。町医者というものは、風ニモマケズ、雨ニモマケズ、常に歩いて疲れを知らぬ足そのものでなければならぬ。天城山の谷ふかく炭やく小屋に病む人があれば、ゲートルをまき、雲をわけて、走らねばならぬ。小島に血を吐く漁夫があれば、小舟にうちのり、万里の怒濤をモノともせず、ただひたすらに急がねばならぬ。それが町医者というものだ。
町医者は私人としての生活をすくなからず犠牲にしなければならないものだ。急病人の知らせをきけば、深夜に枕を蹴ってとびだして行かねばならず、箸を投げすてて疾走して行かねばならぬ。病める者の身を思え。病める者を看る者の心を思え。足の医者として誠実に生きたいというのが先生の念願であり、この町の何人かの人々が、先生の存在によって心安きを得たという小さな事実をよろこびとして、つつましい一生を終れば足ると思っていたのである。
そこへ起ったのが戦争だ。これが先生
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