先生に学資をだして医学校を卒業させ、別荘の隣に病院を建てて与えたのである。だから前山家の出入り禁止をうけると、彼の医者としての信用も、人間としての信用も根こそぎ失われるばかりでなく、医者の看板も住む家も失わなければならなくなる怖れがあった。
そこで並木先生はただちに三先生会談を召集したのであるが、この事件は他の二先生にとっても好ましからぬ意味があったのである。なぜなら、剣術の先生も彫刻の先生も、前山家の邸内に起居していた。というのは、前山家の先代はゼンソク退治のために剣術修業を志し、別荘内に道場を造って、そこに神蔭流の達人玄斎先生を居住せしめたからだ。講談本を読むと平手酒造《ひらてみき》が肺病患者であったような話はあるが、ゼンソク持ちの剣術使いの話はでてこない。してみると剣術がゼンソクにきくかも知れんというので思い立ったという話であった。
また、一作氏は幼少からビッコで、病弱で激務につけないから、お金もうけはもっぱら先代にまかせて、自分は風流の道にいそしんでいた。そのために、小学校中学校と同級生であった狂六先生を呼びよせて別荘内にアトリエを造ってやった。
この戦争で前山家の本邸は
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