をたしかめるべきだったかも知れないというだけです」と、太田先生はごまかしたが――ごまかしたわけでもないが、光一がネチネチと追求すると、結局ごまかしたような結論になってしまうのである。
「ねえ、先生、なにか特殊な毒薬を用いた場合に、専門のお医者が見ても、外部からでは毒殺かどうか見分けがつかないような薬品といったらどんなものがあるでしょうか」
「そんな小むずかしい薬品を使って毒殺するなんて例は、日本に於ては考えられませんよ」
「なぜですか。戦争に負けた国は、毒薬の使い方もできないものですかねえ」
「一般に、素人がそれを使いこなす生活や知識の基礎がないですからね」
「秘密に勉強できないのですか。たとえばですね。日本人は読み書きの教育が普及していることは世界一だと云われてますが、そういう毒殺の方法が文字に書かれて公表されているとすれば、それでもやはり、日本人は毒薬を使いこなす生活の基礎がないと云えるでしょうか」
「そんな毒薬は一般に入手困難ですよ」
「殺人のためには犯人は必ずや相当の無理はするでしょうね」
「とにかく殺人じゃないです」
「なぜですか」
「今となっては手おくれですよ。解剖しなかったんですから」
 というような結論であった。
 この会話を交した人物が光一であるから、この会話がたちまち世間へひろがったのは当り前だ。といって、別段警察が動きはじめたわけではないが、前山家の邸内の住人たちがそれぞれ人を疑って大変なのであった。
「やっぱり、やったか。いかにヤブでも、医者には相違ないからな。してみると、生かす薬にくらべると、殺す薬は調合がカンタンらしいな」
 狂六はこう考えた。云うまでもなく、多くの疑惑は主として並木先生にそそがれていたのである。
「患者がメッキリ減ってからの先生の目ツキは凄味があるよ。気がちがったんじゃないかなア」
 というような観察が行われていた。
 ところが並木先生は世間の噂にはおかまいなく、さて、犯人は誰であるか、長男の光一が一番怪しいが、玄斎も狂六もタダモノではないから、どういう奇怪な行動をやるにしてもフシギはない。こう考えて先生は万人を疑ったが、しかも奇妙なことに、彼は医者でありながら、何者が「いかなる薬品をいかに用いて殺したか」ということを考えずに、何者が「いかなる心理によってこの犯罪を犯したか」という心理探究の方にもっぱら熱をあげていたのである。
 そこで狂六が並木先生に云った。
「おかしいねえ。アナタ、医者だろう。そのくせ、なぜ、誰がいかなる薬品で殺したかということを考えないのかね。アナタ、つまりそれを考えたくないのだなア、そこで心理問題の方へはぐらして、ごまかしてるんだね。つまりさ、アナタが殺したからだろう」
 こう云われても、並木先生は、誰か他の人がそう云われた如くに全然平然として、いつも傍観者のような顔をして安らかな笑いをうかべていた。
「オレにだけ白状したまえよ。気が軽くなるよ。ボクはね。一作氏を殺した人に敬意を払うとかねて神仏に約束してるのだから」
「この犯人は非常に性慾が強い人だね。アナタも性慾が強いが、玄斎先生が七十の老人ながら、まだまだあの方は四十三十の壮年の如くですね」
「この人は医者の学校で何を勉強したんだろうね。いかにごまかすためでも、医者は医者らしくごまかせないものかねえ」
「ここに一ツの例がありますが、玄斎先生はこう考えたのだね。婦女子を喜ばせるためには、口説くのが何よりである、という考えです。これは老人が人生を達観した後に会得する考えの一ツでして、苦労人の見解です。そこで玄斎先生は花子夫人に言い寄りましたが、花子夫人が風に吹かれる柳の枝のようにうけ流しておったから、風に吹かれて、微風にですな、ソヨソヨと、柳の枝がゆれる。いい風情ですな」
「何を言うとるですか、このオヤジは。どうも、頭の方へきているらしいな。しかし、玄斎先生が口説いたというのは初耳だね。あのジイサンがねえ。しかし、たしかに、ちかごろ、めっぽう色ッぽいよ、口説きかねないねえ。緩急自在、ジリジリと、剣の極意によって、神妙だからねえ」
「しかし、玄斎先生のほかにもう一人、花子夫人に云い寄った初老の人がある。芸術家だね。彫刻をやっておる。しかし、気をせかせるばかりで、言説に風情がない」
「アレエ! アンタ、知ってたのか。おどろいた。誰から、きいたね」
「とにかく、性慾の問題です。性慾の強い人が、女に言い寄りもすれば、結局、人を殺すようなことになります」
「よせやい。ろくに女も口説けないような陰にこもった人物が一服もるのだよ」
 そうこうしているうちに、花子夫人が行方をくらましてしまった。恋人ができて、東京で新世帯をもったらしい。
 行方をくらます前に、道具屋をよんで、相当数の金目の物を売り払った。前山家は財産家であ
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