んです。実はねえ、ボクは三四年前から陰毛で毛筆をつくることを考えて、旅先なんかで旅館の部屋のゴミを集めてもらって、陰毛を探しだして毛筆をつくってみたです。非常に、いいですね。イヤ、これはね。まだ生えてる陰毛をぬいて造っちゃいかんです。自然に抜け落ちたような毛が頃合なんですね。そこで、ボクの一生の念願と致しまして、崇拝する美女の陰毛をあつめて、一本の筆をつくりたいのですが、そういう失礼なことをボクの口から花子夫人に云うわけにいかないので――いえ、ボクはね。軽率だから、本当のことをつい口走る怖れがあるです。花子夫人の居間と寝室のゴミを毎朝晩集めて恵んでいただくように頼んでくれませんかねえ」
「今にも追放の危機に際して、そのようなことが願えますか」
「ウーン。そうか」
「しかし、その楽天的なところが、狂六先生の値打ですな。我々の思想はもう古いです。先生のその新思想をもって、なにとぞこの危機を打開していただきたく存じます」
さすがに神蔭流の達人は緩急を心得ており、並木先生のように、狂六の失言に面と向って難詰するような至らぬところがない。結局、神蔭流の極意によって、狂六はジリジリと追いつめられ、危機打開のために、イヤでも彼が孤軍フントウ立向わねばならないようになってしまった。そこで狂六は光一に手引きしてもらって、ひそかに花子夫人と会談して、
「つまり、一服もるというのも一刀両断に致すというのも、ボクの失言でして、本人がそんなことを云ったわけじゃないです」
「だけどさア。要するに、彼らの心にあることを、アナタが云い当てたんじゃないかなア。ボクにだって、その実感がビリッときたですからね」
「よせよオ。キミが横から口をだしちゃいかんじゃないか。キミは退席しろよ」
「オブザーバアですよ。それに貞淑な良家のマダムと対座するのがアナタ一人というのは今日のこの混乱せる時代を背景とし、またこの変テコな雑居族を背景として、良識ある者は放置できないです」
「変なことを云うない。シリメツレツなのはキミじゃないか」
「ねえ、ママサン。この人はね。パンパン宿なんかの部屋に落ちた陰毛を拾いあつめて毛筆をつくってるんですよ。それでママサンの居間と寝室のゴミを毎日朝晩ボクに掃き集めてくれッて云うんですけど……」
「よせよ。ボクは旅先の旅館なんかの、と云ったんだ。パンパン宿なんて云いやしないよ。失礼じゃないか」
「アナタ、パンパン宿以外に泊ったことないでしょう。たとえば熱海。アナタ、どこへ泊った? 糸川しか知らないでしょう」
「よせッたら。キミは黙秘権というのを、やれよ」
「この際アベコベでしょう。アナタがそれをやるんですよ」
「うるせえなア。なんのために来たんだか、分らなくなッたじゃないか。実は、その、並木先生の問題ですが、先生が一服もるなんてとんでもないです。そもそも医者は毒薬に通じておりますから、毒殺すれば必ずバレることを知っております。ですから、毒殺は素人が用いる手口でして、ボクは探偵小説をよんでおりますから――もっとも、医者が毒殺の手口を用いた例も二三ありますけど――そういえば、かなり、あったかな。音読んだのは忘れちゃった。奥さんも探偵小説の愛読者だから、ごまかせねえかな」
「私が並木先生をおことわり致しましたのは先生のお見立がオヘタでいらッしゃるからですよ。いかに探偵小説を愛読いたしましても、まさか先生が一服おもりになるなんて考えやしませんわ」
「じゃア、ケンギ晴れたんですか」
「狂六先生、シッカリしてよ。ボクまで恥ずかしくなッちゃうよ」
「そうか。見立てがオヘタだから、と。つまり、そうか。これは、決定的だな」
「そうですよ。まさに、文句ないです」
「ウーム。アイツはヤブだからな。どうして当家の先代はあの先生に学資をだしたんでしょうね。ムダなことをしたもんだなア」
「アナタの一刀彫の手並も似たもんじゃないですか。ムダなことをしてるなアと誰かがきっと云ってますよ」
「よせよ。キミはうるさいなア。全然オレはキミと会話してるじゃないか。キミと会話するんだったら、こんな無理しなくとも、いつでも、できるじゃないか。今日は全然ダメだ。奥サン失礼いたしました」と狂六は苦心のカイもなく、退却せざるを得なかったのである。
殺人事件の巻
ところが、一月ばかり床についたのち、一作氏はなんとなく死んでしまったのである。
「どうも、変ですなア。主治医として、まったく面目ありませんが、病因がハッキリ致しません。はじめは高血圧のせいで、他にさしたることはないように考えとったのですが……」
と並木先生の代りに選ばれて診察に当った太田先生が葬式がすんだ後になって、光一にもらしたのである。
「すると、他殺だという意味ですか」
「イエ。そうじゃないです。ともかく、解剖して病因
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