ある。
そこで狂六が並木先生に云った。
「おかしいねえ。アナタ、医者だろう。そのくせ、なぜ、誰がいかなる薬品で殺したかということを考えないのかね。アナタ、つまりそれを考えたくないのだなア、そこで心理問題の方へはぐらして、ごまかしてるんだね。つまりさ、アナタが殺したからだろう」
こう云われても、並木先生は、誰か他の人がそう云われた如くに全然平然として、いつも傍観者のような顔をして安らかな笑いをうかべていた。
「オレにだけ白状したまえよ。気が軽くなるよ。ボクはね。一作氏を殺した人に敬意を払うとかねて神仏に約束してるのだから」
「この犯人は非常に性慾が強い人だね。アナタも性慾が強いが、玄斎先生が七十の老人ながら、まだまだあの方は四十三十の壮年の如くですね」
「この人は医者の学校で何を勉強したんだろうね。いかにごまかすためでも、医者は医者らしくごまかせないものかねえ」
「ここに一ツの例がありますが、玄斎先生はこう考えたのだね。婦女子を喜ばせるためには、口説くのが何よりである、という考えです。これは老人が人生を達観した後に会得する考えの一ツでして、苦労人の見解です。そこで玄斎先生は花子夫人に言い寄りましたが、花子夫人が風に吹かれる柳の枝のようにうけ流しておったから、風に吹かれて、微風にですな、ソヨソヨと、柳の枝がゆれる。いい風情ですな」
「何を言うとるですか、このオヤジは。どうも、頭の方へきているらしいな。しかし、玄斎先生が口説いたというのは初耳だね。あのジイサンがねえ。しかし、たしかに、ちかごろ、めっぽう色ッぽいよ、口説きかねないねえ。緩急自在、ジリジリと、剣の極意によって、神妙だからねえ」
「しかし、玄斎先生のほかにもう一人、花子夫人に云い寄った初老の人がある。芸術家だね。彫刻をやっておる。しかし、気をせかせるばかりで、言説に風情がない」
「アレエ! アンタ、知ってたのか。おどろいた。誰から、きいたね」
「とにかく、性慾の問題です。性慾の強い人が、女に言い寄りもすれば、結局、人を殺すようなことになります」
「よせやい。ろくに女も口説けないような陰にこもった人物が一服もるのだよ」
そうこうしているうちに、花子夫人が行方をくらましてしまった。恋人ができて、東京で新世帯をもったらしい。
行方をくらます前に、道具屋をよんで、相当数の金目の物を売り払った。前山家は財産家であ
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