うな事柄でも、案外さうもできない事情といふものがあるものだよ。元はといへば女を連れだした僕から起きたことなんだから、君に面倒をかけずに僕の手でなんとかしようとしたことも一因なんだ。とにかく僕は君とあの人の関係がそこまでいつてゐることに気付かなかつたものだから」
 それ以上のことになると巧みに言を左右にして、急に音楽を論じたりしながら全てを有耶無耶《うやむや》に誤魔化し去つたが、忙しいからと言つて匆々《そうそう》に腰をあげ、蕗子の住所だけ知らせて帰つていつた。
 新らしい下宿を訪ねてみると、谷底のやうな窪地の恐ろしく汚い家の二階だつた。階下には軍隊手袋を内職にしてゐる婆さんが脇目もふらずに仕事をしてゐた。その連合《つれあい》は郵便局の集金人で、ほかに家族はないさうだつた。
 過失を怖れ怯えた様子で出てくるものと思つた蕗子が、顔には単純な喜悦のみを漲らし、喜びの叫びをあげて飛びだしてきたので、伊東伴作は面喰つた。
「どんなに待つてたか知れないわ。どうして早く来て下さらなかつたの?」
 と、蕗子は声をはづませて言つた。
「漸く今しがた居所が分つたやうな次第ぢやないか。紅庵はとつくに居所を知ら
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