り女が見るやうな姿の女で、名前は蕗子とよぶといふ、そのほかのことは全く伊東伴作には判らなかつたのである。
「君、あの女の生活を暫く保証してやつてくれないか?」
 雨宮紅庵が改まつて切りだしたことは然ういふことだつた。
「月に三十円か四十円でいいのだ。三畳の間借りで事足りるんだからね。そのうちに女の方でなんとかするだらうよ。僕にその資力があれば自分でさういふことにしたのかも知れないが……」
「つまりあの人を二号にしろと言ふわけか?」
「いや、さういふわけぢやない。女の生活を保証してやつても、必ずしも二号ときまつてゐるわけはないからね。然し二号でもいいのだ。男と女だから話がそこまで進んでも、それは仕方がないぢやないか」
 暫く話が途切れたあとで、
「君があの人の生活を保証するやうになつてから、そこは男と女だから、二人の話が自然にそこまで進んだとしても、それはそれでいいぢやないか」
 紅庵はここでも故意に言ひ強めるやうな脂つこいくどさを漂はせながら、同じことを重ねて言つた。自分の言葉に酔つたやうな様子でもあり、非常に穿つた親切さうな様子でもあり、幾分勝ち誇つたやうな皮肉さうな様子もあつて、まるで試験台に乗せられてゐるやうな気持がした伊東伴作には、一つ一つの気配がピシ/\とこたへた。すると紅庵は、さういふ伊東伴作の内兜《うちかぶと》を見透したやうな穿つた調子で再び言葉をつぎたし、
「一人くらゐ隠し女を持たなかつたら、一人前の男ぢやないよ」
 と、いかにもしみ/″\した顔付で言つたのが、伊東伴作の気にさはつたが、じり/\した気持を起しながらも、伴作の心の流れは紅庵の言葉の魅力に自づと傾きだしてゐた。伴作はさういふ心のまとまりのない廻転に正直に身をまかせ、暫く沈黙に耽つてゐたが、
「ほんとに君はあの女に気がないのかな」
 と、紅庵を冷やかすやうに笑つて言つた。笑つて言ひはしたが、伊東伴作の言葉の奥には甚だ真剣な激しいものが漲りかけてゐて、あれだけの女なら二号にしても悪くはないなと立派な計算が完了されてしまつてゐた。
 それにしても、恋愛といふ面倒な言葉はとにかくとして、あれだけの女なら大概の男が浮気心を起すのは恐らく普通のことだらうから、あの女に気がないと言ふ紅庵は論ずるまでもなく嘘をついてゐるのだと思つた。けれども伊東伴作は紅庵の思惑に気を廻さうとしなかつた。さうすることがた
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