が拒絶することを見抜いておいて、恰好だけでもつけておくために言つたことかも知れないけど、私の方ぢやそんなことをあの人に言つた覚えもなし日頃考へた記憶さへないほどなんだもの、ほんとに吃驚しちやつたわ」
「それぢや君のハズつて人は、西沢といふ詩を書く人ぢやないのか?」
「ええ、さう。知つてるの?」
「フウム」と伊東伴作は思はず心の中に唸つた。
「君のハズの話は、それから君の話も、かれこれ一年ぐらゐ前から度々紅庵にきかされてゐたよ。つまり亭主が無能者で、女房の方は勿体ないほど綺麗なんだが、肉体のほんとの快楽を経験しないせいか無意識には相当ヂリ/\した不満を感じながら、それが性的な原因から来てゐることにさへ気付かないやうだと言ふんだね。あのままにしておくのは勿体ないから大胆に本能的な生活をするやうにと勧めてゐるが、といふやうなことを言つてゐたが、それぢやなんだね、紅庵はもうその頃から君の家へ繁々通つてほんとに浮気を奨励してゐたわけか。さういへばあの当時も、どうだい二号にするつもりなら世話をするがといふやうなことを、これは冗談半分だつたが、きいたやうにも覚えてゐる……」
伊東伴作の脳裡には、今まで無意識のうちに気付いてはゐたが別段それを明瞭な形にまとめあげる機縁もなく必要もなかつた雨宮紅庵の裏面の姿が、一気に歴々と浮きでたやうな思ひがした。伊東伴作の記憶を辿れば、雨宮紅庵が蕗子に関心を持ちだしたのは一年以上も昔のことにさかのぼる。実際はそれ以上の、恐らく紅庵が始めて蕗子を見た時間から彼の秘密の姦淫は育ちはじめたと見ることもできよう。あの頃のことを思ひだすと、紅庵は蕗子のことを語るたびに、蕗子が自分に気のあるやうな、殆んど蕗子に口説かれかねない形勢にでもあるやうなひどく思はせぶりな話し方をするかと思ふと、蕗子の正体が白痴のやうに単純で余りにナイーヴであるために、内にあふるるやうな肉感を蔵してゐてもなんとも可憐でたうてい手なぞはつけられないのだと妙に泌々《しみじみ》言ひだしたり、そんなことを言つてるうちに自分の感傷にひきづられた形で、今迄の凡そ官能的な話とは逆に今度はひどく精神的なことばかりを殆んど支離滅裂に言ひ強めたりするのだつた。けれどもたとへば蕗子に一本の煙草を渡された時の、その真つ白な、腐肉のやうな光沢をたたへた、柔軟な鞭のやうな一本の腕について語りだすところの精密な描
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