トマサンの一生」と同じように実に目のとどかない作品であるが、現世の人情に盲いて目がとどかないのではなくて、技法によって百千のかゆいところを黙殺しているだけの相違である。
 しかし、現世は、コントンとして、多岐多端。なにも大文学者だけが文士でなければならぬという厳正にして面倒なところではあるまい。大いに現世の俗情をあらわにして、憎み憎まれる文士の商法も亦《また》可であろう。俗世の人情で小説を書くのも持って生れた才能で、人生は品数の多いのを幸とすべきだろう。オレは一皿で満足だというアマノジャクは、片隅で晩酌をやるがよい。アマノジャクが居て悪いということもない。清濁黒白併存するのが自然である。
 しかし、通人の旦那たるもの、大いに道を楽しみ、人情小説を書きながすのは結構であるが、カタキでもないトンデモ・ハップンの姐御を、本気で目のカタキにするのは、大人げない。蓋し、通人通家というものは、身勝手な小言幸兵衛で、甚しく大人げない存在でもあるらしい。論語よみの論語知らずと云うが、ワケ知りのワケ知らずというべきか。通人通家はヤカン頭に湯気を立てがちのものでもあるらしい。そこが御愛嬌でもあろうか。旦那
前へ 次へ
全18ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング