クナイフで自動車へのりこみ三人の大の男に手をあげさせて二百万円強奪した。どうも敗戦後の大の男はシドロモドロで体をなしていない。ジャックナイフにサッと三人手をあげるとは水際立った敗走ぶりであるが、それにもまして、チンピラ小説に暗殺されたトマさんは、アプレゲールの最尖端、あまりに神韻ヒョウビョウとして、その影だにも捉えがたい。
 私も探偵小説というものを書いて、ずいぶん自分に都合のよい兇器や殺し方を発明したが、ネバア・ハップンの小説が兇器になるとは思わなかった。探偵小説の読者は、この兇器では、とても納得してくれそうもない。
「トマサンの一生」はピンからキリまで、痛快に自分勝手で故障だらけ、かほど痛快に目のとどかない小説というのは珍しい。
 しかし、元来、傑作というものは、目がとどかない作品なのである。かゆいところへみんな手がとどくというのは、実生活には大そう便利であろうが、芸術の傑作にはならない。人間は、男女いずれを問わず、惚れると目がとどかなくなる。そして人間の一生のうちで、最も香気の度が高いのは、そういうバカな状態の時なのである。そして芸術というものは、人間が落付きはらって、かゆいとこ
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