トマサンの一生」と同じように実に目のとどかない作品であるが、現世の人情に盲いて目がとどかないのではなくて、技法によって百千のかゆいところを黙殺しているだけの相違である。
 しかし、現世は、コントンとして、多岐多端。なにも大文学者だけが文士でなければならぬという厳正にして面倒なところではあるまい。大いに現世の俗情をあらわにして、憎み憎まれる文士の商法も亦《また》可であろう。俗世の人情で小説を書くのも持って生れた才能で、人生は品数の多いのを幸とすべきだろう。オレは一皿で満足だというアマノジャクは、片隅で晩酌をやるがよい。アマノジャクが居て悪いということもない。清濁黒白併存するのが自然である。
 しかし、通人の旦那たるもの、大いに道を楽しみ、人情小説を書きながすのは結構であるが、カタキでもないトンデモ・ハップンの姐御を、本気で目のカタキにするのは、大人げない。蓋し、通人通家というものは、身勝手な小言幸兵衛で、甚しく大人げない存在でもあるらしい。論語よみの論語知らずと云うが、ワケ知りのワケ知らずというべきか。通人通家はヤカン頭に湯気を立てがちのものでもあるらしい。そこが御愛嬌でもあろうか。旦那も姐御も、ワカラズ屋という点では、甲乙ない。しかし、姐御が筆の隙間から、目のさめるような酷薄ムザンな正体をさらけだすのにくらべると、旦那はヤカン頭の湯気をポッポッとさらけだしているだけで、トンデモ・ハップンの姐御に円みがないだけ、イキがいいし、目ざましい。この殺人事件を法廷で争うと、とても通人の旦那に勝味はない。
 由起しげ子さんの話によると、彼女の良人たる(あるいは離婚せるやを知らず)I画伯は、アイツが芥川賞になるなら、オレがなれないはずはない。アイツのことを書いて芥川賞をもらってみせる、と、小説の製作にとりかかったという話である。
 大そう面白い話であるから、
「本当に芥川賞がとれるような小説ができると愉快だな。書けそうですか」
「とても利口で器用な人です。何をやっても、私よりもすぐれてますから、小説も私よりは上手にきまっています。私が芥川賞をもらったぐらいですから、もらえるにきまっています」
 と、彼女はニコリともせず答えた。私はさッそく某誌の編輯者に、
「Iさんのところへ小説をもらいに行きたまえよ。面白そうな小説ができるらしいぜ」
 とケシかけると、彼も大乗気で出かけた筈である
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