て、今もって、胃に火山をだいている。腰の屈折のたびに薄氷をふむ思いで、もちろん酒はのめない。一滴の水をのんでも、その結果をジッとまつような不安な気分が、自然身についている。酒をのまないと眠れないから、書物を二三十冊とりよせて、三日間、ねて本をよんでいた。だから、目が痛い。この町は夜間十一時ごろまで電燈が暗くて、やりきれない。机に向って上体を屈折していられる時間は、新聞小説を書くだけで、精一パイであった。
しかし、今日はギリギリであるから、どうしても机に向かわなければならないが、なんとなく思考力がキマラないのである。そして、持続力がない。注意力がサンマンである。胃の方に重点の何分の一かが常に残っていて、全部を頭に集中しつくした統一感にひたる時間が乏しいのである。仕方がないから、ねころんで考える。又、机に向う。同じことをくりかえして、時間を費してしまった。
今日の夕刊読売に、山際(日大運転手。百九十万円強奪犯人)の獄中手記というのが載っていた。それを読んで、ふと感想があったので、それを書くことにします。
獄中の手記は全文ではない。むろん当人に会ったわけではなく、私が山際某について知っているのは、新聞の報道だけだ。まだ捕縛されたばかりだから、彼に関する報道はまったくジャーナリズムの紋切型の観察や断定だけで、彼の個性を伝えていると思われるものはない。こういう際物について不足な資料で感想をのべるのは好ましいとは思わないが、目下の私の状態では、ふと気がついた感想以上に、思考力をまとめることができないから、仕方がない。
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「世間から色々と取沙汰されて居る様に、僕等の世代ゼネレーションと云うものは「アプレゲール」俗に云う戦後派ですが、今度の犯行に関し僕等が特別アプレ的だったと見られるのは不愉快です」(原文のまま)
手記の書きだしである。私のところへ原稿を送ってよこしたり、手紙で弟子入りを申込んでくるうちで、箸にも棒にもかからないという低能に限って、これと同じような文章をかくのが普通である。つまり、自分を単純な戦後派と見ないでくれ、自分はもっと独自な苦悩している人間だということを前書きしているのである。
もっとも、こう思っているのは低能に限らない。ただ利巧者はこんなことを書かないし、書いても、書き方がバカらしくない様式をととのえているだけの相違かも
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