ても、かような建設のためにささげられなければならないと考えるものである。文化というものは、過去にもとめるよりも、未来にもとめる建設の方が大切なのである。
 すべて人間の生活の敵なるものを征服して、我々の生活を高め、安定させることをもって、文化の正しい目的と考えなければならない。
 ついに大黄河を征服する設備が完成した時には、それは雄大なる設計に於て万里の長城の比ではない。
 金閣寺の焼亡などというものは、美としても、歴史記念物としても、観光資源としても、識者がそろって泣き言をならべたてるほどの実質的なものは、ほとんど少ししか具っていないものだ。水鳥の羽の音に驚き、飛鳥川の洪水に咏歎をもらすたぐいだろうと思うのである。
 大黄河にも及びもつかないが、利根川の水害をなくし、只見川の発電所をつくるぐらいのことは、文句なしに、とりかかるだけの国民的な見解をもちたいものだと思う。文化というものを、そのような積極的な力として見ることを基礎とした上で、再び悠々と古代へ遊びに赴くべきではないかと思うのである。



底本:「坂口安吾全集 09」筑摩書房
   1998(平成10)年10月20日初版第1
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