く一つの理由となりうることを認めはするが、もっと大切なことはホテルとか道路の建設、観光地帯の積極的な公園化の方がより大切で、観光客向きの遺物としての価値からいっては、金閣寺よりも広島や長崎の原バク記念地の方が、どれくらい国際観光客をひきつけるものであるか知れないと考えている。金閣寺の焼亡をなげくよりも、広島、長崎のバク心地を積極的に保存、公園化する計画を実行した方が、千客万来うけあいの観光計画向きなのである。
終戦後、国際的な資力と科学を動員して、黄河治水を徹底的に完成する、というような計画があったように記憶するが、中国が内戦となって、それも一朝の夢であったらしい。
私は法隆寺だの金閣寺にくらべて、早川の洪水が暗褐色の防波堤となって一哩も海中に突入している力感あふるる景観に、比較にならない美を感じているものであるが、さらに大黄河の泥シブキをあげて溢れたつ洪水の凄さに至っては、雄大きわまりないものであろうと考えている。
しかし、この歴史的な怪物を、ついに五千年の人智の苦闘の後に征服する大施設というものは、これこそ真に文化の記念碑であり、我々の努力は、すべて過去の遺跡の如きものを失っても、かような建設のためにささげられなければならないと考えるものである。文化というものは、過去にもとめるよりも、未来にもとめる建設の方が大切なのである。
すべて人間の生活の敵なるものを征服して、我々の生活を高め、安定させることをもって、文化の正しい目的と考えなければならない。
ついに大黄河を征服する設備が完成した時には、それは雄大なる設計に於て万里の長城の比ではない。
金閣寺の焼亡などというものは、美としても、歴史記念物としても、観光資源としても、識者がそろって泣き言をならべたてるほどの実質的なものは、ほとんど少ししか具っていないものだ。水鳥の羽の音に驚き、飛鳥川の洪水に咏歎をもらすたぐいだろうと思うのである。
大黄河にも及びもつかないが、利根川の水害をなくし、只見川の発電所をつくるぐらいのことは、文句なしに、とりかかるだけの国民的な見解をもちたいものだと思う。文化というものを、そのような積極的な力として見ることを基礎とした上で、再び悠々と古代へ遊びに赴くべきではないかと思うのである。
底本:「坂口安吾全集 09」筑摩書房
1998(平成10)年10月20日初版第1
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