。どこを歩いているか見当がつかない。しかし、たしか、電車が通っていたはず。線路が近かったはずだが。……
 こうして彼の絶望感孤独感は深まる一方で、ついに自殺を選ぶに至ったかも知れないし、又、その途中に、暴漢に殺されてしまったかも知れない。しかし、衣類や所持金や高価な腕時計などが盗まれなかったところをみると、偶然|出会《でくわ》した暴漢に殺されたのではないようだ。計画的殺人か自殺かのいずれかであるらしい。

          ★

 以上は、下山総裁に自殺の場合もありうることを想定して、そのエスキスを試みたにすぎない。
 私は自分の病気中の経験から判断して、人間は(私は、と云う必要はないように思う)最も激しい孤独感に襲われたとき、最も好色になることを知った。
 私は、思うに、孤独感の最も激しいものは、意志力を失いつつある時に起り、意力を失うことは抑制力を失うことでもあって、同時に最も好色になるのではないかと思った。
 最後のギリギリのところで、孤独感と好色が、ただ二つだけ残されて、めざましく併存するということは、人間の孤独感というものが、人間を嫌うことからこずに、人間を愛することから由来していることを語ってくれているように思う。人間を愛すな、といったって、そうはいかない。どの人間かも分らない。たぶん、そうではなくて、ただ人間というものを愛し、そこから離れることのできないのが人間なのではあるまいか。
 それは人間を嫌ったツモリで山の奥へ遁世したところで断ちきることのできない性質のものである。自分とのあらゆる現実的なツナガリを、無関心という根柢の上へきずいたツモリで、そして、そうすることによって人間を突き放したツモリでも、そうさせているものが、又、何物であるか、実は自覚し得ざる人間愛、どうしても我々に断ちがたい宿命のアヤツリ糸の仕業でないと言いきれようか。
 私は、そして、最もめざましい孤独感や絶望感のときに、ただ好色、もっと適切な言葉で言って、ただ助平になるということについて考えて、結局、肉慾というものは、人間のぬきさしならぬオモチャではないかと思った。
 それは、他のあらゆるものから締めだされ、とりつく島もない孤絶のときに、それ一つのみが意志の全部となって燃え立ってくるのである。それを経験した人間から言えば、なんというアサマシイことだろうか、と、一度は思うのが当然で
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