に悪戦苦闘の切ない思い出が数々あるのであろう。そして、昔も今も、寄席から寄席へ、いくつかのカケモチを、電車にもまれてとびまわり、こまかく稼いでいらッしゃるのだろう。席亭から席亭へ自動車でのりまわすような気楽な生活ではないことが分る。
 これだけ痛切に自分の言葉を語ればタクサンだ。大学の先生は、自分がはずかしいと思いつけば、まだ利巧なのだが、そう思うどころか、重ねて、天下の政治は? といらッしゃる。イヤ。どうも。ヘッヘ。
 文化人だの何だのと大そう憂国の至情に富んでるらしい方々は、たいがい、こういった妙テコレンなアイクチを胸にかくし、何くわぬ顔をして人を訪ねてきて、いきなり隠しもったアイクチをつきつける。そんなことに一々返事していられますかい。
 大工だの師匠だの市井人というものは、見ず知らずの人に政見を語るほど、ウヌボレも強くはないし、ヒマ人でもないものだ。ハッキリと、自分の生活をもってるのだから。
 文化人というものは、ウヌボレ屋で、ヒマ人で、自分の生活をもたないのである。私のところへ訪ねてきて、一席政見をのべてきかせる。きかせてくれと頼みやしないから、もう、タクサン、おかえり下さい、と云っても、わからないのである。自分の政見に耳を傾けないのは怪《け》しからんと腹を立てたり、天下の政治について質問されて、返事もできないほど、無学低能、官能主義のデカダン野郎などと考える。どう考えてもいいよ。早く帰ってくれよ。そして、二度と来ないでくれれば、私はそれで満足だ。
 私はさきごろから「火」という小説を連載して、この中には、天下の政治家などが現れてくるから、アレ、アレ、あの野郎が政治を語る、奇怪。奴め、立候補する気かな。ほんとにそう思いこんで、ゲキレイしたり、すすめたりするのが何人もいた。
 訪問客にも会いたがらない気性の奴が、天下の政治家なんてものに、なりたがる筈がないじゃないか。大学の先生方に、天下の政治についてきかれても、イヤア、どうも、ヘッヘッヘ、と答える奴が、議政壇上に立って一席ぶとうという大ゲサな考えを起すことが有りうる道理がないではないか。
 しかし、私は小説家だから、小説の中では、どんな人間でも書く。政治家も書くし、天下の政治についても論じることがある。小説の中でいろんなことをしたり書いたりするのが私の商売で、私は身の程をわきまえているから、小説以外のところ
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