あくまで実質が物を云い、広告だけでは釣られない。これにくらべると、売薬などは、広告だけはデカデカと、実質がともなわないと人命にかかわり、素人には事が終るまで良否の判断がつかないに拘らず、その取締のオロソカなこと、まったくアベコベだ。
 殺人映画や探偵小説の影響で青少年の犯罪がふえたといっても、その反面の教育が非力であり、日本全体の生活不安を救う政治も非力であって、映画や小説にだけ罪をおしつけるのは滑稽な話だ。
 相撲なども男のストリップ・ショオのような要素をもっている。商売女が見物するのは仕方がないが、良家の子女が見るべきものではないというような自家製戒律が明治ごろの家庭には存在していたようだ。けれども、これを放置しておいても、見る方に良識がありさえすれば、害にはならない。裸体の大男の組打にひかれて、女の子がワンサと見物に行ったという話もきかない。アンコ型の力士は健康なものではなくて病的なものだから、我々男がふとった大女のジュバンの相撲などに興味がもてないように、女には男の相撲に興味がもてないのかも知れない。もっとも、日本の女の子は宝塚に熱中の程度だから、性的な観賞力が低下しているのか
前へ 次へ
全13ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング