る。どれ一つとして、生れてくる子供に遺伝して健全なものはない。
 私はちかごろ再びかなり過度の仕事をしはじめた。時にはやむを得ず覚醒剤や催眠薬のヤッカイにもなるが、その用法には注意をはらっているし、過労に対処する方法として、ムリの限度をこさぬよう、そして、過労後の休養についても考慮を忘れたことはない。私自身としては、生活は健全で、仕事に対する緊張は爽快でもあり、毎日がかなり明るい。私自身としてはそうであるが、座右の品々が生れてくる子供に健全だとは云われない。
 けれども、それらの遺伝を怖れて、ダタイするだけの決断もない。ニンシンの前後に、クリスマスの前夜であったが、女房の貞操を疑ってもいいような事件があった。女房の父母と男が謝罪にきて話はすんでいたが、生れる子供が私の子供ではないかも知れぬという理窟をつけてダタイするだけの気持はない。
 私は女房の貞操を信じていたし、過去は忘れるというのが私の心構えの一つでもあったが、この考えが、女房のニンシンで、ちょッとばかしグラついたのも事実であった。
 どうしても私の子供のようには思われない。なぜなら、私に子供が生れるなら、とッくに生れていなけれ
前へ 次へ
全23ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング