ねむっているのである。女房は時々うなされたり、ウワゴトを云ったり、叫びをあげて目をさましたりする。
「今、何か言わなかった?」
「何か言ったが、ききとれなかった」
「人の名をよばなかった?」
「ききとれなかったよ」
 女房は安心して、また、目をつぶる。時々そういうことがあるが、女房はウワゴトから心の秘密をさとられることを、さのみ怖れてもいないようである。しかし、親しい人のウワゴトをきくのは、切ないものである。うなされるとき、人の子の無限の悲哀がこもっているのだから。断腸の苦悶もこもっている。そして、あらゆる迷いが。
 人の子は、必ず、うなされる。哀れな定めである。その定めに於て、私と人とのツナガリがあるのだし、別して、女房とのツナガリがあるのだろう。誰も解くことのできない定め。それ故、この上もなく、なつかしい定めが。
 女房よ。恋人の名を叫ぶことを怖れるな。



底本:「坂口安吾全集 09」筑摩書房
   1998(平成10)年10月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新潮 第四七巻第五号」
   1950(昭和25)年5月1日発行
初出:「新潮 第四七巻第五号」
   1950(昭
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