署の支払いには応じなくとも、女房や子供への支払いは、必ずまもるであろう。
しかし一人の女と別れて、新しい別な女と生活したいというような夢は、もう私の念頭に九分九厘存在していない。残る一度に意味を持たせているワケではなく、多少の甘さは存在しているというだけのことだ。
恋愛などは一時的なもので、何万人の女房を取り換えてみたって、絶対の恋人などというものがある筈のものではない。探してみたい人は探すがいゝが、私にはそんな根気はない。
私の看病に疲れて枕元にうたたねして、私ではない他の男の名をよんでいる女房の不貞を私は咎める気にはならないのである。咎めるよりも、哀れであり、痛々しいと思うのだ。
誰しも夢の中で呼びたいような名前の六ツや七ツは持ち合せているだろう。一ツしか持ち合せませんと云って威張る人がいたら、私はそんな人とつきあうことを御免蒙るだけである。
私は一月の大半は徹夜して起きているが、私の書斎は離れになっているので、私の動静は他の部屋からは分らない。ここへ越してきて、私の書斎へ寝ることを許された時に、女房はこの上もなく嬉しそうであった。そして、私が仕事している机の向うに、毎晩ねむっているのである。女房は時々うなされたり、ウワゴトを云ったり、叫びをあげて目をさましたりする。
「今、何か言わなかった?」
「何か言ったが、ききとれなかった」
「人の名をよばなかった?」
「ききとれなかったよ」
女房は安心して、また、目をつぶる。時々そういうことがあるが、女房はウワゴトから心の秘密をさとられることを、さのみ怖れてもいないようである。しかし、親しい人のウワゴトをきくのは、切ないものである。うなされるとき、人の子の無限の悲哀がこもっているのだから。断腸の苦悶もこもっている。そして、あらゆる迷いが。
人の子は、必ず、うなされる。哀れな定めである。その定めに於て、私と人とのツナガリがあるのだし、別して、女房とのツナガリがあるのだろう。誰も解くことのできない定め。それ故、この上もなく、なつかしい定めが。
女房よ。恋人の名を叫ぶことを怖れるな。
底本:「坂口安吾全集 09」筑摩書房
1998(平成10)年10月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新潮 第四七巻第五号」
1950(昭和25)年5月1日発行
初出:「新潮 第四七巻第五号」
1950(昭和25)年5月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:花田泰治郎
2006年3月24日作成
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