ばならないはずだ。女房の場合だけでなく、ほかの女の場合にも。その機会は過去に幾度かあったが、女がニンシンしたということがなかった。
淋病を患ったり、腰を冷やしたりすると、精子を失って、ニンシンに無能力になるという。二つながら、私には思い当るところがある。
私は戦争中から一昨年まで、七ヶ年にわたって、冷水浴の習慣があった。真冬はやれないが、春から秋まで、時には初冬まで、やる。
事の起りは、戦争中、燃料が不足して風呂がわかせなかったことと、銭湯が休業がちであったことが原因だが、元来が、夏になると、日に何回となく水風呂をあびて暑気を払う習慣があったのを、風呂代りに冬まで延長したのである。
その家は水道がなくて井戸水だったから、夏ですら水につかった瞬間にはドキリとするが、秋から冬には同じ瞬間に失心状態となる。意識が冷感の彼方に距てられ、霞んでしまう。一分二分と失われた意識が次第に霞を払いながら戻ってくると、一時はいくらかの爽快感にひたる何分何秒かがあるのである。そのうちに、骨にまで寒気が徹して、たえがたくなって、とびだす。とびだしたとたんに今度は完全に気を失って、ボーとかすみ、ヘタヘタくずれて膝をつき、背中をまるめて、前方へのめっていたことがある。どれぐらい気を失っていたか知らないが、何年かの十二月六日だった。それ以来、冬はやらないことにして、だいたい十月一ぱいぐらいで打ちきることにした。
七ヶ年もこんな荒っぽいことをしていたから、腰を冷やす段ではない。全身を冷やしつづけたワケで、精子というものが冷気で死ぬなら、とっくに死んだであろう。水風呂以前にも、私は七ツ八ツの頃からの海水浴狂で、東京に住みはじめて、何が切なかったかというと、夏に思うように海水浴のできないことなどが、その一つであった。毎年、ふるさとの海で、秋がふけると、海辺に立つ人の姿は私一人だけになる。秋になると、日本海は連日の荒天だ。浜には人の姿もなく、人の歩いた跡もない。波にクルクルまかれているのは、言うまでもなく、私だけだ。海も愛したが、孤独も愛したのだ。それがいつの年も秋の荒天まで私を海へひきとめたのである。
しかし、秋の海は、日本海に於てすら、十月になっても、そう冷めたくはない。真夏に熱せられた海の水というものは、なかなかさめないものだ。たぶん、日本海に於ては、十月の海は六月の海よりも、時には七
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