。何を云うのよ」
「人手に加工された跡が歴然としていて、なじめないし、可愛げが感じられないのだ。コマッチャクレているよ」
「そんなこと云うのは、可哀そうよ。あの子の罪じゃなくってよ」
女房は、いささか、色をなして叫んだ。
過去に起ったそれらの事どもを通観して、私のもとで生れた子供なら、私が案外喜んで育てるだろうことを女房は見ていたのかも知れない。私自身はどうかと云えば、万事生れてみなければ分らない。目下の状態としては、生れるものは仕方がないというアキラメだけであった。ごくワズカに、自分の子供ならうれしいかも知れない、という気持が、探してみれば突きとめることが出来る程度に、存在するだけであった。
そして、もしも自分の子供であるとすれば、私の怖れたことは、子供に遺伝するかも知れぬクサグサの事どもであった。
私は昨年から、毎日、天城先生に健康診断していただき、ブドウ糖とビタミンBの注射をうっていただいていた。
私は天城さんに相談した。
「女房がニンシンしたようですが、生れてくる子供を、生れぬ先に、病毒から救う方法がありますか」
「ええ、ありますとも。婦人科の先生にレンラクしておきますから、さッそくお出かけになったがよろしいでしょう」
そこで女房は出かけて行ったが、血液検査は例によってマイナスである。しかし、子宮後屈で、お産がむつかしいと云う。私と一しょになってのち、盲腸で手術した結果だそうだ。
「子供を生みたいと思いますか」
婦人科の先生は、女房にこうきいた。
「生みたいのです」
女房はそう答えた。
「ムリかも知れませんが、当分、一週に一度ずつ来てみなさい」
との話であったそうだ。
私はその話をきいてるウチに、なんだいバカバカしい、というような気持になった。張りつめたものが弛んだようであった。私は、ダタイさせない、という気持に、こだわっていたのかも知れない。そんなコダワリがあったようには思われないが、張りつめた気が弛んだ時には、そんな気がした。
色々の取越苦労もナンセンスである。
私の気持は素直になった。
「さッそく東京へ行って、南雲さんにみてもらうんだね。たぶん、同じ診断だろう。同じ診断だったら、さッそく手術をうけることだ。一日も早い方がいい」
女房も、その気持であった。女房は、東京ではズッと南雲さんに診てもらっており、信頼しきっていた。私も、
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