著作には「ユウレカ」と同じく見落され、片隅でしか生息し得ない傑作の孤独性を持つてゐる。だから、花田清輝の真価を見たいと思つたら、もつと俗悪な仕事をさせてみることだ。つまり、文芸時評とか、谷崎潤一郎論だとか、さういふ愚にもつかない仕事をやらせてみると分る。
 彼は戦争中、右翼の暴力団に襲撃されてノビたことがあつた筈だ。
 戦争中、影山某、三浦某と云つて、根は暴力団の親分だが、自分で小説を書き始めて、作家の言論に暴力を以て圧迫を加へた。文学者の戦犯とは、この連中以外には有り得ない。
 花田清輝はこの連中の作品に遠慮なく批評を加へて、襲撃されて、ノビたのである。このノビた記録を「現代文学」へ書いたものは抱腹絶倒の名文章で、たとへばKなどといふ評論家が影山に叱られてペコ/\と言訳の文章を「文学界」だかに書いてゐたのに比べると、先づ第一に思想自体を生きてゐる作家精神の位が違ふ。その次に教養が高すぎ、又その上に困つたことに、文章が巧ますぎる。つまり俗に通じる世界が稀薄なのである。
 だが、これからは日本も変る。ケチな日本精神でなしに、世界の中の日本に生れ育つには、花田清輝などが埋もれてゐるやうでは
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