従者二名をしたがえて、薗原村の伊之吉宅に出向いた。庭前には竹矢来をめぐらして試合場の用意ができていたが、実は竹矢来の外、屋上や樹上に弓矢鉄砲を伏せ、房吉を狙い討ちにしようという作戦だ。
山崎はまず房吉を座敷に招じ入れた。そのフスマの陰には槍ナギナタの十数名が隠れていて、合図に応じて房吉を庭へ追い落す手筈になった。
山崎は房吉に盃をすすめ、二杯重ねさせたのち、
「さて、お礼の肴を進ぜよう」
立って刀をぬき房吉の鼻先へ突きだした。もとよりユダンはしていない房吉、そのときはもう飛び退いて立っており、
「かたじけなく頂戴しましたが、さて、次のお肴は?」
悠然と四方をうかがっている。この時山崎の合図によって、一時にフスマをあけ放たれ、槍ナギナタの十数名が現われて房吉に迫ってきたが、房吉は彼らを制し、
「慌てることはござるまい。逃げも隠れもいたさぬ。だが、その肴を頂戴いたすのはこの房吉一人のはず。従者に肴はモッタイない。二名の者を帰させていただき、ゆるりと肴を頂戴いたしましょう」
二名の従者を邸外へ去らしめ、自身は庭へ降りて、刀も抜かずに突っ立って相手を待った。
山崎は槍ナギナタにまもられて庭へ降り、
「房吉。用意はいいな。師弟の縁によって、伊之吉の無念をはらしてつかわす。神道一心流の太刀、受けることができるかな。それ、存分に食うがよい」
太刀をふりかぶり、まだ房吉が刀も抜いていないから、これ幸いといきなり打ってかかった。その瞬間に房吉の刀はサヤをぬけて走った。
房吉が先に刀をぬいて相手の出を待てば、弓鉄砲の洗礼が先に来たかも知れぬところ。運を天にまかせ、わざと刀をぬかずに出を待った房吉苦心の策。しかし、神技怖るべし。構えた刀をふり下した山崎よりも、刀をぬいて斬り返した房吉の剣が速かった。山崎の肩を斬った。山崎は肩から血をふいて、よろめいたのである。ただマがちょッとあきすぎていたから斬りつけたのは剣先で、致命傷には至らなかった。
槍とナギナタが一斉に迫ってきたが、房吉が要心を怠らぬのは、それではなくて弓鉄砲だ。竹矢来の外、そして頭上などに伏せてあるに相違ないのは大方見当がついている。その攻撃をそらすには竹矢来の外へでるのが何よりであるから、彼の心は刀をぬかないうちから竹矢来を越す方策に集中していた。房吉は逃げるとみせて、かいくぐり、敵の後へ走って竹矢来をとびこした。実に見事にとびこしたのだが、運のない時には仕方がない。とびこした竹矢来の外側が深田であった。すっぽりはまって進退の自由を失った。そこへ屋上から鉄砲の狙い射ち。一弾を股にうけ、益々進退の自由を失ったところを足軽組の竹槍なぞでメッタ突きに突き殺されてしまったのである。深田にはまらなければ、鉄砲の射程外へ逃れて存分に一泡ふかせ、あるいは房吉の勝利となったかも知れない。惜しむべき失敗であった。時に房吉四十二である。
山崎らは房吉の屍体を片品川に投げこみ、何食わぬ顔、酒宴に興じていたが、藩の役人には手をまわしておいたから、案ずることもない。房吉の舅が訴えを起したけれども、藩の裁判では敗訴になった。
そこで江戸の奉行所に出訴し、再審の結果は山崎ら一味全員の有罪と決したが、山崎は肩の傷が元ですでに牢死していたから死罪に及ばず、伊之吉その他大多数が死罪となって落着した。
この事件は江戸で大評判となったが、そのとき改めて話題となったのは房吉の剣の強さということだ。死んだ房吉の味方となって江戸の再審に尽力を惜しまなかったのは御家人の悪たれどもであったが、彼らは房吉の非業の死をいたむよりも、
「あの鬼神も、人間だった」
というおどろきの方が大きかったそうだ。
「なんしろ、お前、キンタマを小さくちぢめて腹の中へおさめてから、おもむろに立ち合いができたてえ人物だからな。竹矢来に手をかけたとたんに物の見事に五、六間も外の方へ跳びこしていたてえのだが、そこが深田とは因果の話じゃないか。しかし、なんだな。めっぽう強すぎても風情がない。房吉も斬り殺されて花を添えたというものだ。石に花を咲かせたな。ヤ、これもまた近来の佳話だわさ」
伴五郎らはこんなことをいって手向けの酒をのんだが、房吉の剣をなつかしみ、死をいたんで、角の師匠にたのみ、意気な流行歌に仕立ててもらって唄った。そしてこれが当時八百八町に大流行したということである。
底本:「坂口安吾全集 15」筑摩書房
1999(平成11)年10月20日初版第1刷発行
底本の親本:「週刊朝日別冊 第三号」
1954(昭和29)年8月10日発行
初出:「週刊朝日別冊 第三号」
1954(昭和29)年8月10日発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2006年9月22日作成
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