れるものではないので、家康には利いた風な見透しなどといふものはなかつた。彼はただ肚をきめてゐた。なるやうになれ、死ぬか生きるか。そして彼はともかく自分をたよつて逃げこんできた三成を殺すやうな小細工はできないのだ。うられた喧嘩は買ふが、逃げこんだ敵は殺すことができない。家康はまさしく温和で、モグリのできない人であつた。
 関ヶ原で勝つまでは何が何やら目算の立てやうもなかつたらうと思はれる。淀君派と政所《まんどころ》派の対立だの、反三成党の発生だの、それらは曾て目算に入れやうもなかつたことで、まつたく目新しい現実であり、彼は現実に直面して一つ一つ処理するだけで精一杯であつたらう。そしてそれらの現実の勢ひといふものを嗅ぎわけて、その勢ひに乗れるところまでは乗らうとする。副将軍むしろ摂政といふやうな格式で諸侯の拝賀まで要求する、どこまで勢ひに乗つて行けるか、ともかく最後は戦争だ。それだけは分つてゐた。全てをその一戦に賭ける肚だけはきまつてゐたが、そこから先の目算はなかつた筈だ。
 彼が始めて天下をハッキリ意識したのは関ヶ原に勝つてからだ。ここで始めて慾といふものがでてきた。其時までは肚をきめて一々の現実に対処するのが精一杯といふだけのことであつた。
 保守家で温和で律儀な男が、はからずも自然に天下を望む最前面へ押しだされてしまつたので、保守家で事なかれの小心者でも往々にして野心を起して投機などにひつかかるのは世の中に良くある例だが、かういふてあひが慾にからみ我を失ふとあくどいことをする。家康は持つて生れた用心深さでウ※[#小書き片仮名ヰ、374−22]リアム・アダムスから外国事情をきき、自身幾何学の初歩の講義をうけたりして外国といふものを知らうとしたが、又、間者を外地へ派して外国の風俗文化宗教などを探らせ、このやり方は言ふまでもなく内地の諸侯に対しては一層綿密であつたのは言ふまでもない。
 けれども豊臣を亡すといふ最大眼目のこととなると、駄目なので、どうせ奪ひとる天下なら有無を言はさず取つてしまへばよいものを、何がなそれらしい名目なしに事を起すといふことがやりにくい。三好松永流のクーデタができない性分なのである。
 かう慾がでてしまふと彼はもう凡人で、この頃から変事にあつても顔色を変へなくなつたさうだが、つまり大人になつたのだ。その代り肚をすゑ命をすててかかるといふ太々しさ純潔さは失はれて、勢ひに乗じて自我の抑制もつつしみも忘れただ慾の皮の仕上げをたのしむだけの老獪《ろうかい》な古狸になつてしまつた。彼は齢をとつてきた。クーデタがきらひだなどといふうちにいつ死ぬかも知れない怖れもまじつてきて、恥も外聞もなく狸婆アの嫁いぢめのやうな泥くさいことを平然とやつてのけたが、古今東西、天下をとつた男の中でこれぐらゐ不手際のとり方はめつたにない。こんな下手クソな見えすいた口実をつけるぐらゐなら始めからアッサリ武力に訴へて然るべきであらうに、それが出来ずにかういふ泥くさい不手際でかすめとつたといふのは、彼はつまり凡そ人の天下をとるにふさはしくない場違ひ者であつた証拠である。
 時代といふものは奇妙なもので、決してその時代の最大最高とは限らない人物が、時の流行の思潮によつて最大最高の位置につく。その下役の参謀などに却つて人物がゐても、時代は識見と相応せずに人柄と取引するやうな場合が多いので、柄が時代に合はないと、どうにもならないものである。
 芸術などは思潮自体流行的なものだから別してさうで、流行作家といふものは時代思潮を血肉化して永遠の足跡を残す人は案外少くむしろ歴史的には埋没する性質の多いものなのである。
 家康といふ人は力づくで人の天下をとるべき性質の人ではないので、よい番頭、よい公僕、さういふ人で、議会政治の政治家としては保守党の領袖などにまア似合ふ人だ。そして新聞から優柔不断だの新味がないだのと年中コッピドクたたかれてゐる人だ。それが戦国時代に生れて奇妙に衆に押されて前面へでて、最後にはファッショの御大のやうなクーデタをやらざるを得なくなつたから何とも珍無類な古狸の化けそこなひのやうな不手際な天下のとり方をしたのである。
 政治家としては新味もなく政策も平凡な保守家で、ただ間違ひがないといふ点で結局保守党の領袖にはなる人であつたらう。然し、いざといふ時に際して、いのちを賭けて乗りだしてくる気魄だけは稀であり、その賭博が野心に賭けられてゐるのでなく、ただ現実を完うするだけの小さな現実の誠意にかかつてゐる点で、珍重すべきものであつたと思はれる。
 アメリカの軍陣医学によると、爪を噛む癖の男は戦争にでると恐怖のあまり発狂するのが通例だといふことである。すると家康も一兵卒で戦場へでると、臆病者で物の役に立たないやうな男であつたかも知れぬ。実際彼は小心で、驚くたびに顔色を変へるといふ人物でもあつたのである。幸ひ彼は桶屋の倅や百姓の二男坊や足軽の家などに生れずに、大将の家に生れて、始めからさういふ教育を受け、戦争を自主的に行ふ立場であつたから、兵卒なら発狂する線を踏み越えて意慾的な行動をすることができたのかも知れない。彼の足跡をつぶさにふりかへると、この想像も必ずしも奇矯ではないやうである。古狸よりは、むしろお人好しの然し図太いところもある平凡な偉人であつたやうだ。



底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
   1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「新世代 第二巻第一号」新世代社
   1947(昭和22)年1月1日発行
初出:「新世代 第二巻第一号」新世代社
   1947(昭和22)年1月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2006年12月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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