後世の作り話で、家康一代の浮沈を決する大問題を禅問答の要領で呑みこんでくるなどといふバカげた筈があるべきものではない。特に家康正信はしつこいほど慎重なたちで、かりそめにもかかる軽率なやりとりですませるやうな人柄ではなかつたのである。
然し三成をかくまひ、翌朝は護衛までつけて佐和山へ送つてやつた家康の肚は、三成を生かしておけばやがて反乱のあげく三成党を一挙に亡しうるといふ、家康がその肚であるばかりでなく、三成がその肚を見抜きここへ逃げれば必ず助けられると見越して逃げこんだのだといふ。両々ゆづらず、神謀鬼策、蛇の道は蛇、火花をちらす両雄の腹芸といふところだが、話が出来すぎてゐるやうだ。
家康は温和な人だといふ秀吉の口癖は見る人には共通の真実であり、三成もそれを知つてゐたのだと思ふ。家康とてもこの微妙な時代に先の見透しなどがあるべき筈はない。結果に於て関ヶ原で勝つてゐるから、まるでそれを見越した上での芸当だつたと片づけてゐるのだが、関ヶ原は一大苦戦で、秀秋の裏切りまでは、家康はすでに自らの敗北を信じてゐた。彼は無我夢中で爪を噛んで、小倅めにだまされたか、口惜しや口惜しやと歯がみをしてゐた
前へ
次へ
全26ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング