へ上げて拝んだから人に見られてしまいました。口惜しや。この大晦日に銀包みが拝めなくては明日の元旦をむかえる力がございません」
外聞もかまわず、ハラワタをねじって泣きわめきました。店の中央の土間に風呂桶をすえてのことですから、屋根裏のクモの巣を払っている小僧の耳に至るまでクマなくひびき渡ります。
「疑われちゃア迷惑だねえ。あの婆アのヘソクリが盗めるぐらいならエンマのガマ口が楽にすれらア。八ツ当りって云うが、八つ恨みに呪いをかけられちゃア命がちゞまるな。エエ。神サマ仏サマよ。オン敵退散。清めたまえ」
神仏に気勢をかけて力の限り屋根裏の煤を払うと、ポトリと上から落ちてきたものがありました。これを手にとりあげて改めますと、
「アレ。銀包みだ。これぞ婆アの銀包みだぜ。アアラ、フシギや。有りがたや。ざまア見やがれ、クソ婆アめ」と、銀包みを握って婆さんの前に駈けつけて手の中の物を突きだして見せました。
「さア、どうだ。人を疑るのもほど/\にしろ、だ。盗まれない物はチャンと出てくるぞ」
小僧は威張りたてて隠居に恨みを晴らしましたが、これを見て、折れるどころか、隠居の顔は一段と蒼ざめてひきしまり、
「これはどこから出てきたかえ」
「屋根裏の棟木の間から落ちてきましたよ。鼠がひいて持ってッたのさ」
「フン。私の隠居家は別棟になっているのに、母家の屋根裏からでるとはフシギじゃないか。そんな遠歩きする鼠の話はこの年になるまで聞いたことがありませんよ。大方、頭の黒い鼠がひいたものだろうよ。そんな鼠と同居じゃア油断ができない。夜もオチオチねむれやしないよ」
タタミを叩いて喚きました。こう云われると、ほかに証拠がありませんから、一同も返す言葉がありません。
妙庵先生はこのとき風呂からあがって参りまして、
「ヤ、結構な風呂をちょうだい致した。その鼠のことだが、こんな話があるな。人皇《にんのう》三十七代孝徳天皇の大化元年十二月の大晦日に、大和の国の岡本というところの都を難波の国の長柄《ながら》の豊崎に移したところ、大和の鼠も一しょに引越してきたそうだ。鼠にも世帯道具があってな。孔につめる古綿。トンビに隠れる紙ブスマ。猫に見つからぬお守り。イタチの道切りに用いる尖り杭。火消しの板ぎれ。鰹節ひくときの梃子《てこ》の類いなぞと数々の世帯道具をな。二日路も道ノリのある豊崎まで口にくわえて運んだそうな。鼠というものは思わぬ遠歩きを致すものだな。まして隠居家と母家の間ぐらいは物の数ではござるまい。このような鼠のイタズラは世間によくあることです」
「口がしこいことを仰有《おっしゃ》っても、私ゃもう、だまされませんよ」
「私がだましたことがあるようで恐縮だなア。これよ、小僧さん。御当家には有るまいから、御近所で年代記をかりてきなさい。ヤ、ありがとう。エエと。人皇第三十七代孝徳天皇大化元年十二月大晦日。これだ。ごらんなさい。鼠の引越し。ここにチャンとでている」
「物の本なぞに何がでていたって絵ソラゴトですよ。実物を見なきゃア何が信用できるもんですか」
証拠の年代記も相手にしてくれないから、妙庵先生もサジを投げました。
「お忙しい最中に長々と結構な風呂をちょうだい致した。これで一段と長生き致すだろう。では、さよなら」
と立ち帰ろうとするのを主人の源兵衛が追ってきて、
「殺生ですよ、先生は。あんなにウチの婆さんを怒らせちまッて、自分だけ一段と長生きして行っちまうなんて」
「とんでもないことを云う人だね。私が御隠居を怒らせたわけじゃアないでしょう」
「いいえ、そうですとも。仕掛け山伏だ、ドジョウだ、砂時計だなんぞと余計なことを云うからですよ。年代記なぞを取り寄せて婆さんの気をひいて、あそこまで逆上させてしまったんですから、チャンと始末をつけて下さらなくちゃア。私ども無学の者には年代記のあとの始末はつきませんよ」
「これは甚だこまったな」
「いえ、こまったのはこッちですよ」
「後の始末と申しても、実物を目で見なくちゃア何も信用いたしませんと仰有られちゃア、鼠の引越しを見せたくとも、鼠が引き受けてくれませんのでな。ハテ、待てよ。ウム。実物を見せられないこともないが、お金がかかるな。伊勢屋さんがお金のかかることをする筈はなし。乗りかかった舟だ。まア、仕方がない。では実物を連れてきて御隠居を納得させてあげるから、暫時まちなさい」
仕方がありませんから、妙庵先生はその足で鼠つかいの藤兵衛を訪ねました。そのころ江戸湯島に長崎水右衛門という名題《なだい》の獣使いがおりまして、この人に雇われて鼠を使っていた藤兵衛がいま上方に住んでおります。妙庵先生、これを訪れまして、
「実はこれこれの次第でな。鼠が物を運んで遠歩きするところを実地に見せなくては、その隠居が一同を祈り殺す怖れもあるから
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