いで下さいました。ただいま湯カゲンを見ましょう」
「これは御隠居、いたみ入りますな」
「昨晩やすむ前にこの風呂桶を土蔵から出してすえまして、今朝は暗いうちから私が焚きつけておりますが、早いもので、もう沸きましたようです。薪をたいて急いで風呂をわかそうなんて方もあるようですが、それじゃア夜と昼とがあるという意味がありませんね。夜を用いて焚きつけますと、午すぎる頃にはもうチャンとこうして風呂がわいております。ちょうどよろしいようですが、カサのある物を一たきして、熱いめに致しましょう」
「これはオモテナシかたじけない」
「この木履《ぼっくり》は私が十八の年、当家へお嫁入りのとき長持に入れて持って参ったもので、歯がちびたのはいつの頃からでしたか。雨の日も雪の日もこれをはきまして、早いもので、五十三年になります。私一代はこの一足で埒をあけるつもりでしたが、惜しいじゃありませんか。野良犬に片方とられて、今日是非もなく煙にしなければなりません。一代に二足も下駄をはこうなどとは、この年まで夢にも思わなかったのに、なさけなや、ナムアミダブツ」
それで片輪の木履をすぐ釜に投げこむかと思うと、そうではありません。またそれを顔ちかく引きよせて打ちながめ、同じくりごとを五度ほどくりかえしてから、やっと釜の中へ投げすてました。
一年分の薬代を一度の風呂ですませるのが不足どころかオツリがタップリあるらしい様子。さても怖しい風呂、これにつかって長命しなければフシギというものだと妙庵先生おそるおそる足を入れようとすると、たいそう、ぬるい。ふだん風呂にはいりつけないから、湯カゲンも知らないらしい。ふと隠居を見やると、折しも隠居は泪をハラハラと膝にこぼしていられるところ。
「ああ月日のたつのは、ほんとに夢のようだこと。明日はもう一周忌になるが、ほんとに惜しいことをしました」
妙庵先生これを耳にとめてフシギがり、
「して元日にどなたが死去されましたか」
「アラ。いいえ。とんだ歎きをお耳に入れましたが、私がいかに愚痴になればとて、人が死んだぐらいで、こう歎きは致しません。去年の元旦に妹が年賀に参りまして、銀《かね》一包みお年玉にくれましたが、あまりの嬉しさに神ダナにあげて拝んでおりましたのを、見ていた者がいたんですね。その夜のうちに盗まれてしまったのです。いろいろと諸神に願をかけましたが、その甲斐もな
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