。充分論理的であるべき筈の無産派政治家すら大人物型的非論理性に溺れやすい状態で、我々の理知をも感情をもひいては全存在を冷静な知性を凝らして観察し一応論理化することは相当至難なことである。教壇的な博識によつては及び難いことで、日頃休みない省察の眼を自らに向け冷酷にして誠実なメスを自らの内部に向けて切り刻むことがなくては、かゝる論理性は得がたいのである。
 菊池寛の「話の屑籠」は現今文壇における一家言の代表的なものであつて、一部識者の好評を得てゐることは、我国の教養がその真実の論理的訓練に不足してゐることを明かにしてゐるにすぎない。「話の屑籠」には論理性がないのである。のみならずその非論理性を利用して逆に読者の論理性を圧倒しねぢふせ、却つて自説を特殊の論理として通用せしめやうとする、恰も政治家がその性格的非論理性によつて人を圧倒する術を言論の上に及ぼしたかの感がある。
 現代においては論理が非論理に圧倒され易い。然しそれは論理自体が無力のわけではなく、現代の論理のみが無力なのである。我々は論理的訓練が不足だ。意志にも感情にもそして自我の深奥にまで知性の省察が行きとゞいてゐないのである。
 
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