ゐた。なぜ私がサーカスの一行に加はりたいと思つたか、私は然し、加はる気などはなかつたのだ。たゞ、そんなことを申しでてみたかつたゞけなのだ。
血まみれの少女の顔が私にさうさせたわけでもない。私は多少は感動した。然し、大きな感動ではなかつた。大きな感動にまで意識的に持つて行つたゞけのことだ。
その上、困つたことには、長島に見せるための芝居気まで有つたと私は思ふ。すくなくとも、喋りだしてのちは、長島といふ見物人をしつこく意識してゐた。
然し、やつぱり、青春の暗さ、そのやみがたい悲しさもあつたのだらう。
「君は虚無だよ」
長島の呟きは切なげだつた。彼は私をいたはつてゐたのだ。彼の顔はさびしげだつた。愚行を敢てした者が彼自身であるやうな、影のうすい、自嘲にゆがめられた顔だ。
それは自嘲であつたと今私は思ふ。
彼は私の前で、又、他の同人に向つても、女に就て語つたことがない。如何なる美女にふりむく素振りもなかつた。ところが、私は彼の死後、彼の妹、彼の家庭的な友人などから、はからざる話をきかされた。彼は常に女を追うてゐたのである。宿屋へ泊れば女中を口説き、女中部屋へ夜這ひに行き、いつも成功してゐたといふ。彼は貴公子の風貌だつた。喫茶店の女に惚れ、顔一面ホータイをまき、腕にもホータイをまいて胸に吊り、片足にもホータイをまいてビッコをひき、杖にすがつて連日女を口説きにでかけたといふ。
「助平は私たちの血よ」
お通夜の席で、彼の妹が呟いた。自嘲の寒々とした笑ひであつたが、兄の自嘲と同じものだ。私はそのとき、あの日の彼の自嘲の顔を思ひだしてゐたのだ。愚行を敢てする者は彼自身であつたのである。彼は人を笑へぬ男であつた。自分のことしか考へることができないタチの孤独者だつた。
★
戦争中のことであつたが、私は平野謙にかう訊かれたことがあつた。私の青年期に左翼運動から思想の動揺を受けなかつたか、といふのだ。私はこのとき、いともアッサリと、受けませんでした、と答へたものだ。
受けなかつたと言ひ切れば、たしかにそんなものでもある。もとより青年たる者が時代の流行に無関心でゐられる筈のものではない。その関心はすべてこれ動揺の種類であるが、この動揺の一つに就て語るには時代のすべての関心に関聯して語らなければならない性質のもので、一つだけ切り離すと、いびつなものになり
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