に、現代を忘れた。馬庭念流すらも忘れた。諸国の源氏が一族郎党をひきつれて急を知って馳せ向う大昔を思いだしていたのだ。馬庭念流を百姓剣法と云うのは、半分は当っているが、半分は当らない。むしろ源氏の剣法だ。諸国の源氏が野良を耕しながら武をみがき、時の至るを待っていたころの姿が、そっくりこうだったに相違ない。違っている一事といえば、馬庭ではもう時の至るを待っていないだけだ。それだけに、畑に同化するように、剣にも同化し、それを実用の武技としてでなく天命的な生活として同化しきった安らぎがある。一撃必殺を狙う怖るべき実用剣を平和な日々の心からの友としているだけなのだ。全身にみなぎりたつ殺気はあるが、それはまたこの上もなく無邪気なものでもある。終戦後は村の定めも実行されなくなって、寒稽古にでる若者の姿が甚しく少くなってしまった。
「みんなスケートやスキーを面白がりまして、そっちへ行きたがりますな」
 四天王はこれも天然自然の理だというような素直な笑顔で云った。馬庭の剣客は剣を握って立つとき以外は、温和でただ天命に服している百姓以外の何者でもない。まったく夢の村である。現代に存することが奇蹟的な村だ。
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