のかも知れない。ともかくこれを剣の技術的な奥義書とならべて加えたのには別の意味があったのだろう。念流そのものは、およそこの秘咒に縁のない剣法だ。
この巻物に示されている念流の伝統は、樋口家の口伝のものとは異っていて、樋口家にとっては口伝よりも不利である。寛永御前試合に活躍したという定勝の名も、虎の巻の伝統には現れてこないのである。寛政のころ複写されたものらしいが、樋口家にやや不利であったり、講談の豪傑が出てこなかったりするので、かえって信用できるような気がするのである。これは一子相伝で、最高の高弟ですら見ることができなかったものであるから、ここには装飾の手が加わらなかったのではあるまいか。弟子が見ると摩利支天の罰が当り、目がつぶれると云われていたそうだ。
他の奥義書はよく見ていないから分らないが、技術的なものを説いたものは、これはまた甚しく具体的にコクメイに書かれていて、およそ奥義書風でなく、むしろ現代の何かの教本の如きもので、これこそは実用一点張りの念流にふさわしいものであった。全部をシサイに見れば貴重で多くの興味ある文献が含まれているのかも知れない。
私は虎の巻を見ているうち
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