が見えなくなるという忍術同様の秘法もあり、敵に殺されない咒文、矢に当らない咒文、神様をよぶ咒文、傷を治す咒文等々、およそ念流という実用一点ばりの術の精神にも反するものである。念流そのものとは何らの関係もないものだ。
しかしながら、このような仕ぐさや咒文が真に兵法の秘法として信じられ、実用されていた時代も確かにあったに相違ない。
たとえば神功皇后や竹内宿禰《たけのうちすくね》なぞの時代、犯人を探すにクガタチと称し熱湯に手を入れさせ、犯人なら手が焼けただれる、犯人でなければ手がただれないと称して、これが公式の裁判として行われていたような時代である。
当時ならば出陣に当ってまず咒文を唱えて神様をよび、事に当って一々咒文を唱え、雲をよび、風を封じ、刀が折れては敵の眼前に於て咒文を唱えて刀をよび、傷をうけては咒文を唱え、傷の手当をするようなことも実際に行われていたかも知れないのだ。
立川文庫によると、忍術の咒文は「アビラウンケンソワカ」というのであるが、念流虎の巻四十二の咒文もすべて「ソワカ」で終っている。もっとも「アビラウンケンソワカ」という咒文はない。その咒文は主として梵字《ぼんじ》
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