み、独特の百姓剣法がここにその性格を定めたのである。又七郎が天流斎の頭をわったというビワの木刀が今も樋口家にあるが、ひどく軽くて、短い。宮本武蔵が重い木で五尺にちかい木刀を振りまわしたのに比べて、全くアベコベの木刀だ。近年、門弟の一人が振り廻して遊んでいるうちに石に当って折れてしまった。
「惜しいことをしたなア。若い者はノンキな奴ばかりで」
と四天王の老人が笑いながら折れた木刀を見せてくれたのであるが、別に惜しそうな顔ではない。むしろノンキな若い者を慈しんでいる笑顔であった。
類型絶無の剣法
立川文庫によると、野良から上ってきた百姓が棒キレを探してヘッピリ腰で身構えるので、この土百姓めと武者修業がプッとふきだしてただ一打ちにと打ってかかるとヒラリと体をかわされ、のめるところを打たれて肥ダメへ落ちてしまう。百姓剣法とはいえ、ヘッピリ腰の構えなんてあるはずがないと考えていたが、事実がまさにそうだから、おどろいてしまった。
これを馬庭念流で「無構え」という。他流の構えと雲泥の差がありすぎる。これを説明するには写真を眺めていただく以外に手がないのである。
右足を前へだして膝をまげ、左足を後へひいて踵を浮かして調子をとっている。これだけで存分に風変りなところへ、剣を横ッチョへ寝かせてブラブラ調子をとっているのだから、武者修業がプッとふきだすのは無理がない。まるで肥ビシャクを汲みあげたところといった構えである。
しかし、シサイに見物していると、これぐらい実用向きの怖ろしい剣法はないということが段々とわかってくるのである。彼らはいつも四五間の間をとって構えている。突然とびだして一撃で勝負を決しようというのだ。真剣勝負専門の構えなのだ。
突然とびだすに一番調法な構えである。両足を前後いっぱいに開いて膝をまげたこの構えは、疾走するランニング選手の疾走しつつある瞬間写真によく似ている。疾走する姿を定着させ、全身にハズミをみなぎらせて瞬間の突撃をもくろんでいるのである。横ッチョに寝てブラブラしている剣が突然敵の頭上へおどりかかるのだ。その一手である。突きもないし、横なぐりも殆どやらない。たぶん、真剣勝負とはそういうものなのだろう。馬庭念流には真剣勝負専門の一手あるのみで、余分の遊び手やキレイ事が全然ない。百姓剣法なぞとは大マチガイで、これぐらい真剣勝負に徹した剣
前へ
次へ
全12ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング