り、思想なのである。性格には正邪はないが、思想には正邪がある。人生の価値を決定するものはその正邪の方で、性格はそれ以前の原始なものと知るべきであろう。

          ★

 常識的でない、というのも問題のあるところ。日本でも私は次第に常識と解され、常識化されているように思うが、よその国へ当てはめてみると、私の常識性はハッキリするように思う。私の方が普通で、日本の他の文士の方が常識的でないように思うのである。
 人とは絶対に相容れないとは手きびしいな。そんな人間はいないでしょう。人と相容れ易いという方が、どうかしてるんじゃないかな。人と容れる容れないも、思想的なもの、考えられた生き方ですよ。
 たとえば石川淳は私よりも孤独的で、友達もないが、根は私よりも心あたたかく、ヨコシマなところなく、誰にでも愛さるべき人である。彼を愛さぬ人は愛し得べき良さ美しさに理解できないせいもあろうし、彼に匹敵する深い愛情や、人間の交りはそのような深さに於てのみ相許さるべきことを知り得ないせいもあろう。
 私は人と相容れないどころか、相容れて困るぐらいかも知れない。そして私は昔から少数の目上の人に愛され
前へ 次へ
全28ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング