惑乱の波にもみまくられる性質の人々であろう。彼らがその逆上を押え得て後に施す方法には大きな変りがあるであろうが、逆上のすさまじさは同じようなものであろう。いかに智徳が高くともこの逆上惑乱は防ぐことができないし、またそのために愛すべきところもあるのであろう。
 華頂氏はその逆上惑乱絶望を抑え得て後に施した方法は立派であったと申さねばならぬ。即ち、性格が合わないという理由によって、合意の上で離婚届をだした。それに先立って、華子夫人が謝意を表して悔い改めはしないかと試してみたが、そうでないことが分ったので、相談の上、離婚届をだしたという。しかも子供は華頂氏がひきとり、華子夫人は一人身になって財産の一部も貰うという。実によくぞ我慢したのみならず、よくぞ我を裏切れる人にイタワリをよせたものよ。まことに敬服にたえません。私などは、とてもこうはできない。秀吉などは何をやるか分らんし、かなり温和で常識的な家康でも自分になびかぬというだけでジュリアおたあを島流しにしたほどだから、とてもこうはできない。
 もっとも時代の相違があるから、家康が今日の日本の元貴族であった場合は、華頂氏に近い解決法をとるかも知れませんね。
 しかも華頂氏は裏切って去る妻にこれだけ厚いイタワリをよせながら、宮内庁の長官に対して「たとえ天皇さまが皇族全体の名誉のために離婚を思いとどまれと仰有っても私はお断りします」と云ってるのだ。その心事、その決意の程は悲痛である。
 かくも妻をいたわりつつ、かくも堅く離婚を決意するまでに、華頂氏は思索の時間を経た。そして「自由ということを掘り下げてゆくと、真の自由は自律的にはずいぶん不自由なものではなかろうか」という結論に至って、それが離婚の堅い決意、ならびに去る妻への限りなき愛惜とイタワリとなって表れたもののようだ。
 まさしく氏の思索の結論の通りであろう。真の自由というものは、自律的にはずいぶん不自由なものであろう。まったく同感である。恐らく一個の人間が味う絶望混乱の最大と思われるものを経た直後に、かような思索に至り得た氏の教養は賞讃に価するものと云えよう。世渡りはヘタでも、これだけの教養があれば、さすがに宮様、見事であると申さねばならぬ。私は巣鴨の戦犯収容所へ入れられたことのあるオヒゲの長いふとった御老体の宮様を思いだしましたよ。あの人柄は誰だって憎めません。もっとも宮様らしい宮様であるから私の知る限りでも二ツの雑誌社があの宮様から宮様の今昔生活物語の如きものを書いてもらう狙いをつけてでかけたが、あのお人柄では定めし生活も満足ではあるまいと思われるのに、原稿は貰えなかった。それもメンドウな理由からではなく、単に、書く気持がないというだけの実に淡泊でコダワリのないものであったという。
 この宮様などは人間が慾得を忘れて自然人にちかい状態になったように感じられる。ジオゲネスの如きものだが、それよりも、もっとナイーヴで自然であるが、もとより教養の素地がなくてこうなれるものではない。その教養の根幹は何かというと、はからずも華頂氏が思索の果に見出した「真の自由は自律的には不自由である」ということが、実は宮様の場合には思索の果にあるのではなくて、宮様という生活自体が自由の不自由さを根としているのではないでしょうか。
 宮様にもいろいろであるが、宮様という生活を正しくマトモに経てきた宮様、つまり一番宮様らしい宮様という方々は自由の不自由さを正しく味うのがその課せられた生涯であって、結局老年に至るとジオゲネスよりもハッタリなく淡泊ライラクな原人的人物が完成するように思う。しかし、人さまざまと同じく宮様もさまざまに極っているから、その課せられた宮様の生き方を正しくマットウに生きる人が全部だとは云えない。むしろそれは少数で、多くの宮様は例外の自由を欲するに相違なく、なぜなら、それが人間の自然の慾望というものだからである。
 今回の場合に処した華頂氏は、あのヒゲの老宮様の愛すべくなつかしい人柄に近いものを感じさせる。しかしヒゲの老宮様とちがってまだ若い華頂氏がもっと生々しい人間苦の中に住まねばならぬのは当然で、しかも激しい苦悩と混乱のあとに「真の自由は自律的には不自由なものだ」と思索的に結論を得た良識は、実にいじらしく愛すべく、また賞讃すべきではありませんか。
 そしてかような結論の後に、去る妻をあくまでイタワリつつ断乎たる離婚に至った彼の処置に対し、その心事に対し、私は敬服の念と共に、同感の涙を禁じ得ませぬ。そのほかにも、他の良い処置はあるかも知れませぬ。しかし、ここまでなされば、タクサンだ。これ以上に為し得る人間が果して幾人おりますか。わが身を思えば、これ以上の処置などきいた風なことはとても云えない。
 華頂氏が新聞記者をスキャンダルの現場へ案内し
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