読のあまり作家を師とも神とも恋人とも思いこむような婦人愛読者が、作家の作風によってはあると思うが、その結果、恋となり、結婚となっても、うまく行くとは限らない。大そう憎みあってケンカ別れとなった例もあったようだ。そしてそれもフシギではない。
菊乃さんがそれほどの愛読者だとは思われないが、愛読者であってもなくても、要するに十七年間肌身はなさず、というようなことは酒間のノロケには適当かも知れんが、それ以上に考うべきことではなかろう。それを機縁として結びついたにしてもそれは機縁となったことで役割を果し了り、後日まで残すべきことではないのである。恋愛や結婚生活にとってノロケのほかには伝説や神話は介在すべきものではない。伝説や神話はノロケでしかないということはそれほど実人生は厳しく、厳粛なものだということだ。配給された花聟花嫁を絶対とみる以外に自由意志のなかった昔の人々とちがって、恋の一ツもしてみようというコンタンを蔵している人間というものは人形とはちがう。心の裏もあれば、そのまた裏もあるし、その裏もある。悪意によって裏の裏まで見ぬくのは夫婦生活としては好ましくないが、相手のために献身的であろうとして裏の裏まで見てやる、相手を知りつくす、ということは何よりのことだ。塩谷先生は悪意はなかった。むしろ善意と、献身的な気持で溢れていたようだ。けれども、自分の美化した想念に彼女を当てはめて陶酔し、彼女のきわめて卑近な現実から自分の知らない女を発見したり、彼女の心の裏の裏まで見てやりはしなかったようだ。先生は彼女を詩中の美女善女のように賞揚して味っていたが、詩中の美女善女のような女は現実的には存在しないものである。
現実的な人間は、もっともっと小さくて汚く、卑しいところもあるものである。それは肉慾の問題、チャタレイ的なことのみを指すものではありません。肉慾などよりも、精神的に甚しい負担が彼女にかかっていて、彼女はジリジリ息づまるように追いつめられていたのではありますまいか。それは詩の中の最上級の美女善女に仕立てられた負担であった。もっと卑しくて、汚らしくて、小さくて、みじめなところ、欠点も弱点も知りつくした上で愛されなくては、息苦しくて、やりきれまい。
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塩谷先生は菊乃の欠点もよく知っていた、全てを知った上で、彼女を美しきもの良きもの正しきものと観じて愛したのだ。と仰有《おっしゃ》るかも知れないが、私はそうではないと思う。
先生の愛し方は独裁者の愛し方ですよ。たとえば軍人が、軍人精神によって、一人の兵隊をよき兵隊として愛す。ところがこの兵隊はよき軍人的であるために己れを偽って隊長の好みに合せている。その好みに合せることは良き軍人ということにはかのうが、決してよき人間ということにはかなわない。彼自身が欲することは良き人間でありたいということで、良き軍人ということではなかったのだが、この社会では軍人絶対であるから、どうにもならない。独裁者の意のままの人形になってみせなければ生きられないのである。
それと同じようなものが、先生の場合である。週刊朝日の「宿命」という先生の手記には、人形でない人間には堪らないと思われることが書いてあります。
先生は菊乃さんが芸者であったということに大そうイタワリをよせていますが。
「私が現職(註、大学教授のこと)であり晩香(註、菊乃さんのこと)が花柳界に籍を置くならば、名教の罪人でもあろうが、私は既に教壇を退き晩香も一旦人の正妻となり離婚後であった」
とある。すぐその後につづけて「いつまでも元芸者が附きまとうのは気の毒でまったく旧来の陋習である」と先生はいたわって仰有るが、前文はそのイタワリが形骸にすぎないことを悲しいほどハッキリ表しているではありませんか。同一人物の結びつきが、数年前の自分には罪悪であるが今はそうでないという。身分ちがいであるが有難く思え、ということゝ端的に同一で、先生が某大名の子孫の謡曲の相手に招かれ、菊乃さんがそれに同行したことを記して、
「越後長岡出身の賤《しず》の女《め》が、旧藩主の御同族なる旧田辺藩主より私と同行する様に求められるに至っては、晩香の名誉この上もなく、死して瞑すべきである」
とある。ここまで読み至って、私はまったく暗然、救われないほど、やりきれなくなってしまった。菊乃さんがこの生活に満足し、なんの不足もある筈がないと先生が仰有ったって、そんなことをマトモにきけるものではありません。この一文をよめば彼女が自殺したことには何のフシギもない。それが先生にお分りでないようだから、救いがないのである。
現職の教授が芸妓を女房にするのは名教の罪人だと仰有るけれども、こういう考えの人が芸者を女房にすることが罪人なのだ。
二人の結びつきは「恋愛の遊戯ではなくて、切実なる老後の生活問題である」と仰有る。切実な老後の生活問題とは、
「結髪の妻節子を喪ってから、長男夫婦の世話になって居たが、偶々《たまたま》病に臥してからつくづく、世話人なしでは老境を過せないと感じた。いかに舅思いの嫁でも、主人に仕え、幼児が二人もあっては、下婢を使うことのできない今日では、私の世話まですることは到底やりきれない。困って居る処へ、二三の人より熱心にすすめられ、終に晩香と結婚するに至った」(週刊朝日の手記より)
切実な老後の生活問題という意味は、たしかに、そうであったろう。行く先不安な老人にとって一人ということは堪えがたい怖れであるに相違ない。切実な生活問題というその切実さは、老境に至らぬ私にも容易に想像し同感しうるのである。
先生は籍を入れようとしたが、菊乃さんが辞退したそうである。先生の気持は明かに正妻であって、菊乃さんをそのように遇した。そして、菊乃さんが末期の水をとってくれるというので先生は安心し、生活は安定をうるに至ったという。
それらは全て結構である。私とても、身寄りにそのような老人がおれば、再婚をすすめるかも知れない。
先生の老境にある者の切実な生活問題という言葉からは、正妻とか、伴侶というものよりも、侍女、忠実な侍女、という意味が感じられるが、それであっても別に不都合ではなかろう。忠実な侍女が切実に欲しいという老境の切実さは同感せられるのである。むしろ、今さら正妻というよりも、侍女。実質的にそういう気持が起り易かろうと想像される。
永井荷風先生も似たような立場であるが、もしも荷風先生が伴侶を定める場合にも、たぶん正妻とか女房なぞと大ダンビラをふりかざすような言い方よりも、侍女を求めるというような心境であろうと思う。
しかし、塩谷先生は、その心境の実質は侍女をもとめる、というようなものであったが、菊乃さんを得て後は、侍女どころか、正妻も正妻、まさに意中の恋人を得たかのようだ。これ、また、結構であろう。先生の知己ならずとも、これを祝福するが自然であろう。先生が菊乃さんに甘いのも、大いに結構。門下を前に大いにのろけ、それを門下ならざる私が見ても不都合どころか、むしろ大いに祝福の念をいだいたであろう。
先生は晩酌をやるにも、まず菊乃さんに盃を献じ、彼女に酒をすすめることを楽しむようであったという。まことに美しい心境である。そういう先生の心境は、菊乃さんに対するこまやかな愛情にあふれ、いかにも老いたる童子の感あり、虚心タンカイ、ミジンも汚れがない。見る者の心をあたためる風景であろう。
先生の菊乃さんへの溺愛ぶりは、いかにも手ばなしの感で、大らかでもあるし、マジメでもある。思うに先生は生涯順境にあって、邪心を知ること少く、いかにも無邪気な人であるようだ。ハタから見れば、親しみ深く、愛すべき人であろうと思う。
しかし、他人同志の関係ではなく、先生と切実な関係に立った者には、どうであったか。先生の老後の生活問題が切実であった如くに、菊乃さんの生活問題も切実であったにきまっています。
老後といえば、芸者というものは、若い時から甚だ切実に老後を考えているものです。それは花聟や花嫁を配給される家風になれた人々が、若い時に老後を考える必要がなく、目先の甘い新婚生活の夢でいっぱいで、事実に於て概ねそれで一生が間に合うのに比べて、大そうちがう。彼女らには老後について一ツも約束されたものがない。
塩谷先生は死水をとってもらえば、それで足り、それ故に菊乃さんを得ることによってすでに安定を得た老後であった。しかし、先生なきあとにも、菊乃さんの老後は残っているのである。
戦争前の財産が殆どゼロとなった今日、先生なきあと、菊乃さんの老後のタヨリとなる多くの物があろうとは思われない。
先生は敗戦後の今日往時のように華やかな時代はすぎ去っても、尚多くの門下生にとりまかれ、そういう雰囲気というものは、どこの学者や芸術家にもあることで、諸先生の客間や書斎はどこでも王城のようなもの。その書斎の主が王様で、そこの雰囲気しか知らなければ、学問や芸術の王様は天下にこの先生たった一人のように見える。ナニそんな王様は天下に三千人も五万人もいるのだ。
先生とそれをとりまく門下生は、わが王城の雰囲気に盲いてわが天下国家を手だまにとって談論風発して、それで安心し、安定していられるけれども、天下の大を知るハタの者から見れば、まるで違う。菊乃さんは芸者だから、永年客席に侍ってきた。芸者の侍る宴席というものは、これがまた各々一国一城の雰囲気をもっているもので、村会議員やヤミ屋の相談会でも、やっぱり王様や王国の雰囲気、王様と王様の御取引なのである。
そういう数々の王様や数々の王国の雰囲気を、表からも裏からも見てきた菊乃さんは、その雰囲気になんの実力もなく、頼りないことを身にしみて知っていたであろう。
この王国は王様が死ねばもはやどこにも存在しなくなるものである。文士や編輯者の間には文士の女房について「亭主に先立つ果報者」という金言がある由である。つまり、亭主たる文士が生きていて盛業中に死んだ女房は、恐らく亭主たる文士の死よりも盛大な参会者弔問客にみたされ、キモの小さい人間どもをちぢみあがらせるぐらい大葬儀の栄をうけるであろう、という意の由である。果して然りや、真偽の程はうけあわないが、それほどではないにしてもとにかく王様が生きてるうちはそんなものだ。しかしこの金言の真意はむしろそのアベコベを云うのであろう。王様が死んだあとの女房は全然誰も寄りつかず、寄りつくとすれば何か目的のためであり、むろん葬式なんぞに誰も来てくれやしない。そういう意味を云っているのであろう。
塩谷先生がこういう金言を身にしみて考えられるようだと菊乃さんも死ぬ必要はなかったであろう。
ところが、先生はあまりにも無邪気すぎますよ。門下生たちの集りの、自分が生みの親であるが、菊乃さんが育ての親で、一同にしたわれていたなぞと、タワイもないことを仰有っておられるが、そのような王国の雰囲気のたよりなさを身にしみ知る者にとって、このような先生の無邪気さは、たよりなくもあるし、時に甚だ憎らしいものであったと思われます。
しかも先生は、越後長岡の賤の女がその旧藩主の同族たる殿様に招かれるに至るとは名誉この上もなく、死して瞑すべきである、というタテマエであるから、賤の女の心事が分らぬにしても、論外である。
先生自身は菊乃さんを得て老後の切実な生活問題も解決して、解決以上に大満足を得て、安定し、たのしかったであろう。門下生にとりまかれて一国一城の主を自覚し愛人に美酒を献じ、愛人の三味の音をたのしみ愛人の手拍子に興を深めつつ詩を吟ずる。また殿サマに招かれて恋人を同伴、謡曲のお相手となる。それで満足、先生自身はどこにも不足はなかったであろう。
先生の満足が深く無邪気であるほど、菊乃さんには堪らなかった筈である。菊乃さんにだって、切実な老後というものがある。その切実さは恐らく先生以上であったにきまっている。なぜなら先生は菊乃さんが居なくとも門下生にかこまれてともかく王様でありうるが、そういう約束は菊乃さんの老後には皆目保証されていない
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