切実な生活問題という言葉からは、正妻とか、伴侶というものよりも、侍女、忠実な侍女、という意味が感じられるが、それであっても別に不都合ではなかろう。忠実な侍女が切実に欲しいという老境の切実さは同感せられるのである。むしろ、今さら正妻というよりも、侍女。実質的にそういう気持が起り易かろうと想像される。
 永井荷風先生も似たような立場であるが、もしも荷風先生が伴侶を定める場合にも、たぶん正妻とか女房なぞと大ダンビラをふりかざすような言い方よりも、侍女を求めるというような心境であろうと思う。
 しかし、塩谷先生は、その心境の実質は侍女をもとめる、というようなものであったが、菊乃さんを得て後は、侍女どころか、正妻も正妻、まさに意中の恋人を得たかのようだ。これ、また、結構であろう。先生の知己ならずとも、これを祝福するが自然であろう。先生が菊乃さんに甘いのも、大いに結構。門下を前に大いにのろけ、それを門下ならざる私が見ても不都合どころか、むしろ大いに祝福の念をいだいたであろう。
 先生は晩酌をやるにも、まず菊乃さんに盃を献じ、彼女に酒をすすめることを楽しむようであったという。まことに美しい心境である
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