に彼女を殺していたのでも分るではありませんか。可憐な、いじらしい死ですよ。しかし、明るいね。菊乃さんは誰も恨んではいないだろう。そして、先生、さよなら、と一言、言いたかったろう。
 先生は自分の後からついてくる筈の菊乃さんがそッとおくれて海中へはいって死んだのを知らずに歩いていた。お寺の前を通ると読経の声がきこえたので、先生もふと黙祷した。するとお寺の内儀がでてきて茶にさそったそうですね。
 先生はそれを菊乃さんの死の時刻と判じ、霊の知らせと云っていますが、私もあるいは然らんと思います。そう思ってよいほど、死する菊乃さんの心事は澄んでいて、ただ親しい思い、なつかしい思いをよみがえらせ、心からの別離の言葉を先生におくりたかったろうな、と想像するのです。死に至る原因は、一に先生の無邪気な愛情やウヌボレに対する反感や憎悪であったにしても、すべての悲しさを死にかえて、われ一人去れば足ると見た人が死ぬときに、誰を恨む筈もない。むしろ一途の愛情となつかしさと感謝にあふれる一瞬があった筈だ。まさに死せんとする一瞬に。
 先生は自分の善意だけで、また己がいたわりと愛情を知るだけでしたが、まったく悪意がなくとも、人を殺すことはあるものですよ。そして善意からも破綻は生れる。人間と人間のツナガリは、実に複雑で、ややこしいものだ。誰かが楽しい時にはきっと誰かが悲しんでると見てもよろしいぐらいですよ。たとえ夫婦の間でも。人間二人一しょに本当に幸福だなんてことは、なかなかないものですよ。特に老後を考えるような、人生の晩年にさしかかった以後の人々に於ては。
 しかし、菊乃さんのような悲劇は方々にありそうだなア。当人は至極無邪気に、下賤の者、無学の者に、死しても瞑すべき名誉ある愛情や地位を与えてやったと思いこんでいる善人が少くないようですね。どんな人間にも、自分と同じく切実な人生があることをてんで知らずに、ただもう賤の女を助けてやったと陶酔している。助けられ、安定したのは自分だけじゃないか。第一、下賤な人間という考え方が、菊乃さんの悲劇の真相をあますなく語っているが、当人ならびに同類だけには分らない。漢学という学問が、だいたいに、真理を究める学問ではなくて、王サマの御用を論理の本筋としているもののようだから、そういう論理を体した人には人間は分らない。人間の本当の心と喰いちごうのは仕方がない宿命、まさに宿命のようです。
 菊乃さんは音もなく影のように静かに自ら永遠に去ったけれども、ガラッ八の私は喚きちらすように、叫びたいよ。菊乃は満足していた、死ぬ理由は一ツもないとは何事ですか。賤の女に死すとも瞑すべき名誉を与えたという一言が菊乃さんの悲劇の真相をすべて語っているのが分らんのですか。分らんのか。「賤の女」を女房にした「不遜」な罪が分らんのですか。分らなくて、すむことですか。
 人間の倫理は「己が罪」というところから始まったし、そうでなければならんもんだが、東洋の学問は王サマの弁護のために論理が始まったようなもんだから、分らんのは仕方がないが。
 ああ、暗い哉。東洋よ。暗夜、いずこへ行くか。
 オレは同行したくないよ。
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(この一文はもっぱら週刊朝日八月十二日号の塩谷氏の手記「宿命」をもとに書きました。その手記にははるかに多くの本心が語られていると見たからです)
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底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
   1998(平成10)年12月20日初版第1刷発行
底本の親本:「オール読物 第六巻第一〇号」
   1951(昭和26)年10月1日発行
初出:「オール読物 第六巻第一〇号」
   1951(昭和26)年10月1日発行
入力:tatsuki
校正:深津辰男・美智子
2009年10月8日作成
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