りうるかのような、人生をこれ凸凹と観ずる境地に至りうるのである。人間の日常には、誰しもこれぐらいのユーモアはあるのですよ。特に大阪人には云うまでもないことで、この現実的に切迫したユーモアは大阪の労働者の巷々にあふれている性質のものですよ。だから、それは実に紙一枚の差で、ただ日常の精神にかえりさえすれば、なんのこともありやしない。ストリップみたいなもんナンボ見たかてアカンワ、と車券をビリッとちぎって、エイッとすて、なんとなくウラミを骨髄から外すぐらいの寛仁大度に日頃の心得なき方々ではない筈なのである。
 競輪雑誌の記事はたくまずして観衆全体に内在するユーモアを適切に描破しているではありませんか。
 競輪騒動も、内実はみんなこのようなもので、紙一枚の差で、むしろ愉しい遊びの雰囲気へひッくり返ることができる性質のものです。競輪をやってる者にはそれがよく分るのですよ。これをただ悪い一方に、放火傷害強盗殺人などと云う方がどうかしている。競輪人種という別のフテイなヤカラがいるわけではない。この理がお分りになれば、何を禁止するなどゝ騒ぐ必要もなく、人間の共同生活の前途は明るいものですよ。



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