のを新聞でよんだ時に、日頃ウチの日本犬のワケも分らずに忠義専一、バカなのには音をあげてるものですから、何と勇気ある方々よ、と、そぞろにキモをつぶしたのです。犬の競走というオナグサミを提供して同時に地方財源としてテラ銭をかせぎたい、これが本当のところであろうし、それだけで充分であろう。競犬にも遊びとテラ銭かせぎのほかの役に立つ任務があるということを書き加えておかないと、お役所のハンコがもらえない。何事も大義名分という形式の問題である。国家に形式主義が行われる時は、亡国か革命の前夜であるとは諸国の歴史が証明しているのであるが、いい加減な大義名分だけは一度戦争に負ければタクサン、もうコンリンザイやめにしてくれないかねえ。もっと利巧になりましょうよ。
公安委員会が競輪禁止を決議したのは「治安に害がある」という理由で、賭博がいかんとは一言も云うておらんと仰有るのも、形式的な屁理窟でしょうな。
競輪にゴタゴタが起るのは八百長レースらしきものがあって一部の観衆が騒ぐのであるが、八百長レースは競馬やオートレースにもないとは云われん。また競馬やオートレースの見物人の中に火を放《つ》けたり暴動を起すこ
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